こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

悪いのは格差じゃなく、格差を受け入れないこと。

今日本に帰国しています。前回の記事からだいぶ日が空いてしまいましたが、“半外人”の立場から気付いたことをまたボチボチ書いてみようと思います。

 

ここ数年、何かと登場する“格差”と言う言葉、ピケティ大流行で更に頻繁に目にするようになりました。“所得格差”“地域格差”“世代格差”などなど。殆どは“格差は悪いもの”というニュアンスですが、そうでしょうか?そろそろ経済学も社会学も知らないただの素人が口を挟んでも許されるかなと期待して、勝手に語ります。

 

右肩上がりの時は誰でもやればやる程成果が出るので皆頑張れという言葉に説得力があります。しかし情報の細分化が進み今後更に縮小していく社会に於いては、価値観の多様化は当然という気がします。どんな時でも上を目指す人もいれば、仕事は最小限で生活や子育に重点を置きたいと言う人もいる。定住を前提にする生活を求める人もいれば、出来るだけ身軽に自由な生活を求める人もいる。それに加え、移民問題を挙げるまでもなく世界はどんどん狭くなり、宗教や文化や習慣的にも多様化はもっと加速するはずです。日本で言われている“格差”には“多様化”も含まれていながら、それらを区別なく悲観的なニュアンスで捉えられ過ぎているように思います。

 

大前提として日本は資本主義です。乱暴な言い方かも知れませんが、資本主義とは“格差”を前提としたシステムではないでしょうか?格差というと響きが悪いですが、“違うことを前提とした”とも言えるでしょう。今の日本で格差問題と言われている内容は、世界の格差問題と少し違うように思えます。「その違いや差が大きすぎて限度を超えた事による問題」ではなく、「大変な努力を経て“一億総中級”になりそれに合わせて社会を整備したのに、今再び始まった格差に対応出来ていない問題」だと思います。大きな政府と小さな政府という言葉に変えれば、「今まで大きな政府を目指して作って来た社会が、現状に合わなくなって来たのに、政府も市民も小さい政府にする覚悟が出来ていない問題」というところでしょうか。

 

医療や福祉の充実は社会の安定に非常に重要ですが、今日本で提供しているそれらのサービスは全員にとって必要不可欠なものでしょうか?数々の無料検診や助成金、豊富なイベントや講習会、清潔な施設。素晴らしい事だと思います。しかし私は同時にこれだけの内容を無料で提供するコストが気になるのです。自力で生活出来ず政府が生活保護をしなくてはならない人が増えているなら、それは社会の実情と提供しているサービスのバランスが崩れているとも考えられるのではないでしょうか。つまり「そこまでのサービスは要らないから、税金や保険や年金を安くして欲しい。」という人が増えているということです。それならば、生活保護を増やして行くと同時に、政府や自治体が想定している「市民誰もが送ることが出来る生活の理想像」のレベルを下げていくことも必要です。皆が健康で幸せに暮らすことが理想だというのは大前提ですが、「お金が足りる範囲で」というのもまた当然のことです。日本にはレベルの高いサービスやモノについては選択肢が非常に多いので、それ以上を望む人はいろいろな方法があります。一方、少しずつ増えて来たとは言え、最低限のレベルで良いから最低限の金額でという低いレベルのサービスやモノについての選択肢が非常に少ないと感じます。それは公共機関などが提供する無料の「最低限」のサービスのレベルが高過ぎることも無関係ではないのではないでしょうか。

 

無料で受けられる内容以下で有料にする訳に行かないという提供側と無料で受けられるレベルに慣れている消費者が求める有料サービスへの期待の高さ。結果、高級サービスか、ゼロかという二極化になっていると思います。半分の質のサービスを半分の料金で気軽に受けたいという人が想定されていないのです。

 

しかし、無料で受けられるサービスにかかっているコストを考えたことがあるでしょうか?そのサービスの市場価格を考えた事が有る人はどのくらいいるでしょうか?

以前ちきりんさんが書いていたこの記事に賛同します。


すべての税金コストを開示したらどーかな? - Chikirinの日記

日本人はお金のことをおおっぴらにするのを下品と感じる節がありますが、人が動いたり物を作ったりするのにはお金がかかるということは当然のことをもっと理解すべきです。今無料で受けているサービスは、決して関係者全てが無償で行ってくれている訳ではない、どこからかいつの間にかやってくるお金がある訳ではないということ。

 

そして、国も私達も今までの「普通の日本人像」を更新すべき時が来ていると思います。今後どんどん“中級層”は減っていくはずです。“貧乏エピソード”がTV番組のネタになるということは、逆にいうとそういう事はないという前提で皆が暮らしているということ。新品のランドセルを背負い、新品の体操服や帽子や上履きを、数々の手作りの手提げ袋に入れて持ってきて、礼服を来た親とよそ行きの格好で入学式に参加するのが“普通”の小学校一年生とするのは、もう無理が来ていると思うのです。そもそもランドセルじゃなくても教科書が運べればいいのだし、新品のランドセルが買えないこと=貧困ではないはずです。クリスマスや誕生日に新しい流行のおもちゃが買えないこと=貧困でしょうか?

“普通”というされるレベルが高過ぎ、そこに至らないとすぐ貧困とされることに違和感を感じます。普通と貧困の間にはもっと段階があっていいはずです。限られたお金で、本当に必要な人から助けて行くことが目的であるべきで、皆が今まで出来ていた“幻の中級の暮らし”をするのが目的ではないはずです。

「いろんな暮らしをする人がいる」という当たり前の事実をこれから少しずつ受け入れていく必要に迫られていると思います。

 

 

移民問題、同化政策。理想と現実と覚悟と。

産経新聞の曽野綾子氏のコラムに関して、連日ニュースで大騒ぎになっています。コラムを見て、私も海外に住む身としていろいろ思うことがありました。しかし、大騒ぎになった反応への違和感などもあり、上手く考えがまとまらずにいたところ、この方の記事を見てすっきりすることが出来ました。


私がモヤモヤと考えていたことがそれより遥かに理論的に書かれているので、そのままこちらを読んで頂ければ十分なのですが、ついつい余計な感想を言いたくなってしまったので、以下お暇な方だけお付き合い下さい。

 

私がこのコラムを読んでまず思ったのは、大方世間の反応と同じです。“今時、知識人という立場の人が公の場でこんな発言をし、またそれをそのまま載せてしまう新聞への驚き”です。でも、公の場で発表するに相応しくないと分かっていても、実際本心はこれに近い考えの日本人は多いのではないかと思っていたので、その後の批判の嵐が少し意外に感じられたのです。海外から批判されるのは当然としても、日本国内の批判の声は以下のどちらが多かったのでしょうか?

1、“アパルトヘイト”や“黒人は大家族主義”などと言った短絡的な例えや、“居住区を分けるべき”という微妙な問題に対して説明やフォローがない無防備過ぎる表現が問題。

2、彼女の考え自体が問題。

 

私は普段目にするニュースや周りで聞く話から、てっきり日本人は外国人と生活を分けたがっているのだと思っていました。テレビを見れば、外国人タレントが話す日本語や日本人ぽくない外見がいじられていたり、「町で会ったちょっとした変わり者」のような話で共感を得ながら笑うというパターンが多いし、「好きだったこの店〔この辺り〕も最近は中国人ばかりだ。」というため息交じりの意見も良く耳にします。日本人としての私はどれも共感出来るので、それを批判している訳ではありません。

 

でも、中国で外国人として暮らしている立場として見た時は違和感を感じます。中国に12年も住みながら、複雑な中国語の発音を「伝わるからいいや」諦めている私に取って、もはや定番ギャグ化してきている「アグネス・チャンさんの日本語」のレベルには尊敬と感心しかありません。仕事仲間や友達、自分の家族はもちろんクライアントまで、周りの中国人も私のヘタな発音にそこまで感心が無さそうです。また日本でいう「変わり者」の基準は服のセンスだったり、ちょっとした動作や受け答えの反応や、清潔の度合いなど些細な事過ぎて、「そのくらいの違いにイライラしたり驚いたりしているなら、外国人と接するのは余程疲れるだろうな」と思います。また、「好きだった店に中国人が増えた」というのは、店主が日本人の常連だけでやっていけるのであればその声を重視し中国人団体客を受け入れなければいいのに、受け入れているということはその価格帯を受け入れる層が中国人になったというただの経済状況の一例であり、客として嫌ならまた店を変えればいいだけの話。そこをセンチメンタルに語る様子はまさに“日本人だけで楽しみたい”という気持ちからくるものだと思います。*1

 

また移民問題を語る時に時々出てくる、「移民に出来るだけ日本に馴染んでもらう」といった“同化”を求める意見に対してもまた、半外国人化している私から見ると、求める“同化”のレベルが高すぎて絶対に無理だと思うのです。日本に10年住んで仕事もしていましたという中国人に対しても、そこに考え方の違いを見つけては「やっぱり中国人なんだな」とごく当たり前の感想が出てしまう訳で、仕事を求めて移民してくる人に対して現実的に求められるレベルでは、到底日本人を満足させることは出来ないと思います。

 

これを差別と捉えるか文化と捉えるかは別として、日本人の国民性の特徴の一つであることは間違いないのではないでしょうか?

では、日本人が思っている“日本人”とは何なのでしょうか?

恐らく国籍の問題では無いと思います。キリスト教やイスラム教のようなはっきりとした信仰とも無縁な日本人は、何をもって相手を“日本人”だと認めるのでしょうか?

 

(染めて茶髪だとしても元は)黒髪で、(カラコンを入れていたとしても元は)黒い瞳で、会釈をしたら会釈で返すことが出来る人。英語の発音が苦手で、“空気”を読める人。いつどんな曲が好きだったか、どんな番組を見ていたか、先生に何を言われたとか親にどんな説教されたかなどの話で共感出来る人。毎日シャワーに入ったり、毎日服を着替えたりマスクをしたりという同じ清潔の概念がある人。納豆や塩辛やタラコや梅干、日本酒や焼酎や日本茶でほっとするよねという人。もしこれらを外れていても、「自分は外れている変わり者」という自覚を多少は持っている人。

 

こんな感じでしょうか?例えば私の息子は日中ハーフですが日本人の国籍を持っています。もし日本で暮らさぬまま成人を迎えたら、日本語は出来てもこの条件は満たすことが出来ないと思いますが、彼は日本で日本人と認められるのでしょうか?悲観している訳ではなく客観的に考えて、日本に住まずに“空気を読む”技術は身につかないので、「見かけと言葉で日本人と思ったら全然違うじゃないか。」「まぁあいつは日本で育ってないから。」というような反応を受けるだろうなと思います。*2

逆に、日本ではよく問題に上がることですが、日本国籍は持っていないけれど生まれた時から日本育ちという人達はどうでしょう?、戸籍ではなく感覚ではどちらを日本人と思うのでしょうか?

 

世界はますます自由に人が行き来するようになり、今後私の息子のような人が増えていった時、日本人である私達はいつまでこのおぼろげな“日本人像”を守っていけるでしょうか?

 

もしどうしてもこの日本人像を守りたいなら、少子化高齢化社会を受け入れるしかありません。2050年には1億人を割ってしまい2100年には約5千万人にまでなるという社会で、今と同じ社会システムやサービスを継続していくのは不可能で、徐々に全てを縮小していく他ありません。移民が嫌というのは、同時にこれを受け入れる覚悟があるという事でなければなりません。

 

また、移民を受け入れるなら、もう今ある“日本人像”は幻となり、新しいいろいろな“違う”人との暮らしを受け入れるしかありません。「普通こういう時はこうするでしょ。」「全部言わなくても分かるよね。」「悪くはないけどさ…。」のような“普通”や“目の合図”や“あうん”や“言葉の裏読み”を求めることは難しくなり、何でも誰にでも分かるように明文化し規則化してはっきり伝えていかなければいけなくなることでしょう。お隣からカレーのスパイスの匂いがしたり、部屋を貸したら油汚れが凄かったり、ワンルームに5,6人住んでいたりするかも知れません。旧正月になれば爆竹が鳴り、職場のスタッフのラマダーンの時期を配慮したりすることになるかも知れません。それが苦手で避ける人が多い場合は、自然と曽野綾子氏の提案のような居住区を分けるということになるのではないでしょうか?

 

因みに、中国でも北京や上海には日本人が多くする地区が存在します。特に上海には8万人以上の日本人がおり、日本人が多く住む地区に住み日本企業で働く人達やその家族には、殆ど中国語が分からないまま生活している人もたくさんいます。同じく全く中国語を話せない英語圏の人たちもたくさんいます。彼らに対して「中国に住んでいるのだから出来るだけ中国に同化すべき」と思いますか?駐在で来ている大企業の人たちは移民ではなく出張、所謂出稼ぎのような単純労働者だけが移民であり、同化すべきでしょうか?駐在でもなく中国に12年住んでいる私は移民でしょうか?

 

移民問題を語る時、今まで体験したことのないこれからの社会で起こり得る様々な問題を想像する力が無いと、ただの綺麗ごとで終わってしまうと思っています。日本人同士でもちょっとしたことでマイノリティとなり、そうなった時の生きにくさが問題にもなる中、私達は“違い”を受け入れていく覚悟があるのかどうか?どうやって受け入れるのか?

 

半外国人の無責任な立場の私は、日本は今のシステムを保持出来る限界まで移民を拒み、もう駄目だとなった時に国民投票をして受け入れるかどうかを決めたらいいと思っています。そうでないと、私も含めて何時までもセンチメンタルな“日本人像”を捨てる決心がつかないと思うからです。

 

*1:余談ですが、めちゃイケの“期末テスト”のような企画は私も毎回大笑いするのですが、あれで笑えるのは日本の教育の水準がものすごく統一されているからです。日本全国の殆どの人が、“あるある”と共感出来るということは、教室などのハード面、授業内容はもちろんそれ以外のマナーや道徳の内容(手を挙げて発言しようなど)までもが統一されているということです。それは決して当たり前のことではありません。

*2:私が今まで中国で日本人と仕事をした時に感じたのは、日本人対応をする中国人は日本語が片言の方がいいという事です。ヘタに日本語が上手だと、日本の文化や習慣を分かっているのだろうと高い期待をされてしまい結果「期待したのに全然分かってない!」と失望されるのですが、片言だと初めから外国人だからと初めから心の準備をしてもらえるからです。

10年前の私と10年後の私に何か言えることがあるか?

今週のお題「10年」

10年前の今頃、私は中国に来て1年半。ひょんなきっかけでここで暮らすことになり、日本人の友達もいないままローカルにどっぷり使った生活であっという間に時間が過ぎ、なんとかめちゃくちゃな中国語でコミュニケーションには困らないようになり、知り合いも出来て気付いたら1年半経っていました。この時期中国は日本の正月にあたる春節という大型連休があります。何もかも目新しく過ぎた1度目とは違い、2度目の春節は冷や汗が出る思いで過ごしました。中国人は家族と賑やかに過ごし日本人は帰国する人が多い中、飛行機チケットを買うお金も無い私は中国人の友達の家に呼ばれて餃子を食べたりしていましたが、急に我に返り30歳を目の前にしてのこの現状に焦っていました。

当時の日記(というかモヤモヤ吐き出しメモ)を振り返ってみると、不安と焦りの言葉ばかりで、今見ても息が詰まりそうになります。

 

海外で暮らすということについて、日本で考えていたことが如何に甘かったか。

来た当初は、言葉や生活習慣など基本的なことを覚えるのに必死でそれ以外考えられなかったけれど、急に身にしみてきた外国人として違う国で暮らすという事実。

どれだけ言葉を覚えても中国人には敵わないという当たり前のこと。

言葉が出来ることと仕事が出来ることは全く別であるということ。

今まで“外国人のお客さん”という特別扱いをされていたということ、それが無くなった状態で戦う為にはどうすればいいか?

これ以上ここにいて何があるのか、道を誤ったなのなら引き返すのは今なんじゃないか?

 

そもそも私は中国に対して全く興味がなく、他の国で暮らそうと準備していました。そんな時“ひょん”としかいえない縁でここに来て仕事を一つしたのですが、中国のことをなめて掛かったら、「レベルが低すぎ!」と思った現地レベルと対して変わらない出来になってしまい、それが悔しくて離れることが出来なくなってしまったのです。日本ではありえないアクシデント連発だったとは言え、同じ条件で圧倒的に違うものが作れない限り中国にあれこれいう資格がないという意地だけで残ったものの、1年半で見えてきたのは自分に足りないものが山ほどあるという事ばかりで、どうしたらいいのか道が全く見えませんでした。何度も「もう辞めた」「だってそもそも中国になんて来る予定じゃなかったし」などと言って離れようかとも思いましたが、その度に「“何かをしてから”帰らないとこの1年半が思い出したくないただの時間の無駄になる」ということが頭をよぎるのですが、「何かする」為にどうしたらいいかわからないという袋小路。どこかに「10年後、この頑固な自分の性分を恨むことになっているんじゃないか」と嫌な予感ばかりしていました。

 

10年経って、今。

あの時の私に何か言ってあげられるかと考えても、何も浮かびませんでした。あれから本当にいろいろなことがあって、当時1%も想像していなかった状態になっている私。思い返せばジェットコースターのような10年でしたが、その時々の自分はいつも目の前の出来事に振り回されてジリジリとした思いだったし、毎回“ひょん”なきっかけの連続に流されてきただけなので、ろくにアドバイスも思い浮かびません。何より、今の自分を見て当時の私は何と言うだろうか?そこが全く想像できません。多分全く話がかみ合わないと思います。それくらい変わりました。

 

ということは、私は今もきっとジェットコースターに乗っているのです。この先どうなるか、今もまた全く分からないので振り返れないのだと思います。でも10年後を思う時、出来ればジェットコースターを降りて緩やかな道を散歩していて欲しいと思うようになりました。どこで、何をしているかは相変わらず全く予想できませんが。

 

あと3日で今年も春節です。今年もまた、落ち着きとは間逆の、新たな不安や希望を抱えて爆竹を聞くことになりますが、10年前とは大きく違うこと。

それは自分の家族と家で餃子を作って食べること。

10年前、仕事のことばかり考えていた私が聞いたら、もしかするとがっかりするかも知れない。でもそれが凄く嬉しく感じるくらいに私はあっさりと変わった。だから自分で自分の未来を想像して心配するなんて無駄なことをせず、目の前のことだけを必死にやっておけ!と先輩面で言ってやることぐらいは出来そうです。

 

「迷惑」の呪縛から逃れる“差不多”のすすめ。

子供を連れて日本に帰ると、新鮮に見えることがたくさんあります。

 

 電車に乗る時に子供が迷惑を掛けないかとても緊張すること、それでも白い目で見られてしまうこと、道路工事しているでこぼこ道でベビーカーを押していたら小学生が手伝ってくれたこと、バリアフリーの施設がとても多いこと、トイレがとてもきれいなこと、子供向け施設でもとても静かなこと、公園に人がいないこと、街が静かなこと、たくさんのサービスが長期間住んでいる日本人だけが対象になっていてそれ以外のパターンが想定されていないこと、殺菌にものすごく注意を払っていること、店や公共のサービスでは中国よりも100倍子供に優しいのに子供に話しかける大人は殆どいないこと、ハイテクとアナログのギャップが激しいことなどなど。

 

私の目線はあくまでも中国やその他アジアの国に慣れた個人的なものなのであしからず。また同じように中国にいても客観的に見る癖がついています。もう私はどちらの国にいても半分は外国人という立場になっているのかも知れません。

 

皆が自分勝手でマナーがないことによって無駄な摩擦が起こりイライラしている中国にいると、“皆が気分良く暮らす為に、お互い少しずつ気を使うマナーというものが、如何に合理的なシステムか”と気付かされます。中国にはほんの少しの気遣いや我慢で解決出来る問題が、つもり積もって大問題になっていることがたくさんあるからです。それに比べると、日本は皆自覚を持ちマナー良く暮らすかなり完成形に近い社会に見えるのですが、果たして皆“気分良く”暮らしているでしょうか。逆にそのマナーに縛られてマナーの監視に怯えている面が見えたりもします。日本での“迷惑”と言う言葉の絶対的支配力に怖くなる時があります。

 

日本で電車に乗ったとき、すれ違った電車に驚いて「ぶつかる!ぶつかる!」と身を屈めて叫んだ息子に、思わず「静かにね」と注意してから少し悲しくなりました。

こういう誰かの驚きや喜びも、誰かの迷惑になるということ。“迷惑”を掛けない為にはあまり驚かず、あまり喜ばず、あまり怒らず、静かに静かに暮らすという生活。他人への迷惑を忘れてしまうほど驚いたり喜んだり怒ったりするから思わず声が出ちゃうんだけど、それを押さえ込む訓練をするように暮らす生活。それどころか、目線の行き場や手の置き所、咳払いにさえ気を配る生活。

私がここで、「子供のちょっとした行動や声くらいは多めに見て欲しい。」と書けば、「仕事で疲れて寝ている人の迷惑になる。」「騒音がストレスになる人がいる。」などなど、熱い議論が巻き起こるのでしょうか。迷惑は絶対的な悪で、誰に取っても公平なルールとは何か徹底的に追求していくという姿勢。これこそが、秩序ある社会を保つ根源なのかもしれません。でも。。。

 

でも、誰にも少しの迷惑も掛けずに生きていくことは可能なのでしょうか?

誰にとっても公平なルールなんて存在するのでしょうか?

 

絶対に迷惑を掛けない方法や公平なルールを追求すればするほど、ルールを補足するルールが増えるだけで答えが出ない袋小路に追い込まれる気がします。物事の本質を見失いように、細かい矛盾はほどほどのところで諦めるゆるさもまた必要なのではないかと思います。

 

今思うと、日本に居た頃に感じていた重苦しい空気は、生活している中で押し殺した元はと言えば他愛のない小さな感情が腐って発生したガスのようなものだった気がします。それらは行き場を失い、時間が経つともっとネバネバとした嫌な感情となり、愚痴となって出ていこうとする。そしてやがて自分と同じ努力をしていない人に矛先が向かいだすのです。いつかどこかで大爆発を起こすくらいなら、すぐその場で発散した方が健全という気がします。

足を踏まれて痛かったら「いたっ!」と自然に声が出て、踏んでしまった方が「すみません。」と言う。そう言われてみれば電車が揺れたのだから仕方が無いなと思って「いえいえ」と答える。ただそれだけのこと。「痛いの我慢したのにあの人謝りもしなかった!!!」とか、「わざとじゃないのに睨まれた!」とモヤモヤするよりはよっぽど簡単で風通しがいい気がするのです。

 

中国で良く使われる言葉に「差不多」というものがあります。「だいたい」や「そろそろ」というような意味ですが、本当にしょっちゅう登場します。「だいたい同じくらい」「だいたい10個くらい」といった数に対する“だいたい”や、「もうそろそろ帰ろうか」とか「そのくらいでいいよ」といった程度に対する“だいたい”など使い道はとても幅広いです。中国で仕事をするとこの言葉に困らされることも多いのですが、日本には是非おススメしたい言葉です。

 

「電車でゴミを散らかしながら何かを食べるのは迷惑だから飲食禁止にするべき」というメッセージから

「無味無臭の水はどうなる?ジュースは?喉が渇いたら電車を降りて水を飲むのか?」

「アメやガムはどうなるのか?」

「どうやってチェックするのか?しないとバレた人だけ不公平だ。」

「風邪や病気で仕方がない人だっている。」

「じゃあ病気とそうでない人をどうやって区別するのか?」

 

このパターンでどんどんエスカレートしそうな時、途中で「ま、キリがないからあとはケースバイケースで。」とストップを掛けること。白と黒の間にちょっとグレーがあったってしょうがないとやり過ごす。これがおススメしたい“差不多”の精神です。細かいことはとりあえず置いておいて、問題の本質だけ考えるということ。そもそもは、「お互いに不快な思いをしないように」というのが目的だった訳で、いつしかルールの絶対遂行が目的となりそれを守る為に疲れたりイライラするのは本末転倒だと思い出すこと。

全ての人に同じマナーやルールを求めるのではなく、突出した問題だけを解決していけば大分楽になるんじゃないかと思います。

 

私は驚いたり怒ったら大きな声になってしまうし、機嫌がいい時は鼻歌くらい歌いたい。人間って大人になったって、そんなものじゃないですかね?

 

 

中国のこども、日本のこども

 

海外で子供を育てるということ。 - こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

 

前回海外での子育てに関する悩みを書いた中で、中国のマナーなど嫌だと思う部分を紹介していましたが、もちろんいいなと思うところもあるし、他にも日本との違いがあります。

私が考える中国の子供や子育て環境はこんな感じです。(中国は広いし多種多様なので、あくまでも私の個人的な感覚です。)

  1. 周りの大人がこどもに優しい
  2. こどもの反応がストレートで無邪気
  3. 親のこどもへの学力や習い事での要求が高い
  4. 比べる基準が多様で、違いに寛容

これらは子供だけではなくそのまま社会全体の違いに繋がります。そういう社会だからこういう子供になる、こういう子供だからこういう大人になるという風につながっているから当たり前ですね。そしてもちろんそれぞれに私が思うメリットデメリットはあります。

 

1、周りの大人がこどもに優しい

例えばバスや電車でこどもが泣いていても、睨まれることは殆どありません。近くのおばさんがあやしてくれたり、おじいさんがアメをくれたりもします。近所の幼稚園は朝から大きな音で体操の音楽を流して大騒ぎしていますが、周りにはおじいさんおばあさんが集まってニコニコ見ていたりします。もちろん自分の孫を見ている人もいるでしょうが、こどもが遊ぶ声に苦情を出すという社会的な雰囲気はまだ感じられません。

その代わり“優しすぎる”というのがデメリットでもあり、甘やかしと混同しているのも事実です。転んで泣いた息子が駄々をこねて起き上がらない時、私は自分で立ち上がるまで手を貸さないのですが、必ず近くのおばあちゃん達に注意されます。人が集まる場所で騒いだり迷惑掛ける子供にもとても甘いです。子供なんだからしょうがないで何でも通ってしまうところがあります。“人に優しく自分にも甘い”というのは大人も同じです。

 

2、こどもの反応がストレートで無邪気

私は中国でエアドームのプラネタリウムのイベントをしています。以前日本でも同様のイベントに5歳甥っ子を連れて参加したことがあるのですが、他の子も皆きちんと座り、放映が始まったら小声で聞きたいことだけ聞いておとなしく見ていました。

こちらでプラネタリウムを始めるにあたり、大気汚染で星が見えない子供達に満天の星空で驚いてもらおうと、夕暮れの空から日が沈み夜になり、まずは1等星だけ表示して「普段見えているのはこんな星空かな?でも空には本当はどのくらい星があるか知ってる?」と言う台詞の後に全ての星を表示する演出を考えていました。それが実際始めてみると、夜になっただけで大歓声、満点の星空になったら飛び跳ねていました。月にズームインしてみたら、大きく迫ってくる月をジャンプしてつかもうとしたり大騒ぎで、たかだか直径5mのドームなのに用意したスピーカーでは全く役に立ちませんでした。確かにお行儀は悪い、悪すぎます。でも、その反応は凄く素直で一緒に笑ってしまいました。こんな大興奮のプラネタリウムなんて経験したことが無かったけど、静かに見るだけじゃない楽しみ方もあるということを教えてもらいました。

 

日本で子供向けワークショップをしている方にこの話をしたら、「日本では感情を出す練習」のワークショップもしているそうです。無邪気な子と我慢する子。良い悪いではなくどちらもかわいいし、その違いが面白いと思います。

 

3、親のこどもへの学力や習い事での要求が高く、生活能力への要求は低い

日本でも子供に期待しない親はいないと思いますが、中国ではまた少し違う熱があります。学力と経済力がそのままその子の将来に反映することがはっきりしているので、希望というよりは必死です。“その子の良いところを伸ばしてあげよう”というのではなく、“役に立つタイトルをつけてあげたい”というものです。お絵かき教室も音楽教室も、パンフレットに“○○コンクール金賞入賞者5名!”などと具体的な実績が書いてあることが多く、幼児の親でも就職に役立つ資格を探す人達と同じ姿勢を感じます。

その代わり、着替えや後片付けのような生活に関するものは後回しにされています。またプラネタリウムの話ですが、幼稚園児に「丸い輪っかがついてる星はなーに?」とその星を映すと何人もの子が「土星」と答えて驚きました。それでも、エアドームから出る時は「お母さん、くつー」と言って靴やコートを着させてもらっているのです。

 

4、比べる基準が多様で、違いに寛容

中国は国土も広く人口も多く、多民族で格差社会です。出身地によって言葉も食べ物も顔付きも違い、同じ土地でも職業や経済力などによって全く境遇は異なります。そんな人たちが集まっている中国の都心部では、お互いの共通点を見つける方が難しく、“違う”ということが当たり前です。同じ様な条件のグループ内では当然比べあったりもしますが、皆違うことに慣れています。これは外国人としては大分助かりました。例えば私の中国語の発音は未だにいい加減ですが生活上対して気になりません。(本当は気にして直さなければならないんでしょうけれど。)私よりももっと下手な中国人もたくさんいるし、発音悪いと言われたり上手いと言われたり、東北出身かと聞かれたり台湾人かと聞かれたり。要は判断する側もバラバラだから評価もバラバラなんですね。外国人として特別扱いされる訳じゃなくその他大勢として放って置かれる気楽さ。例え思いやりや気遣いであっても特別扱いが続くと疲れるものです。

 似た者同士が暮らす中で培われた細やかな気遣いと、異なる者同士が暮らす中で生まれた寛容さ。文化というのはこういった物理的背景によってかなり影響を受けているのだと実感します。

 

どちらが良い悪いはなく、またどちらか一方だけを選ぶことが出来ないのはわかっています。今後ハーフであることやこの環境で嫌な思いをすることも有るかも知れない。でもまだまだ欲張りな私は、せっかくこういう環境にいるのだから息子には“良いとこ取り”をして、人にどうぞが出来るけど嫌なことをされたら「やめて」とはっきり言える子、マナーは守れるけど大きな声で笑う子になって欲しいと思っています。

 

海外で子供を育てるということ。

トピック「叱り方」について

私には2歳半の息子がいます。言葉も動きもだんだん達者になってきて、“良い、悪い”を教えていく時期が始まりました。そして今私が目の当たりにしている問題は、「家庭内のダブルスタンダード」です。

 

日本に居る時、私は日本に馴染めないと思い、自分が日本人だという自覚も薄かったので、世界の何処で暮らしても同じだと思っていました。それが実際に海外に生活してみると、はっきりと“自分が日本人である”という当たり前の事実に気付かされました。善悪の判断だけでなく、知識や好みやセンスなど、自分の考えだと思っていたことにも大きく“日本”が影響していることに気付きました。逆にそういう様々な事についての共感を通して、“私たちは日本人”と国籍とは別に認め合っているところもあると思います。

 

こどもを叱る時、やっぱり私は日本人としての基準で判断しているし頭にはいつか誰かに言われた言葉を思い出しています。

  • 間違ったり悪い事をしたら認めて謝る。
  • お礼をきちんと言う。
  • 割り込みせずきちんと並ぶ、独り占めせず譲りあう。
  • 食べ物は残さず食べる。

これらを当たり前と思うことも日本人を表しているのです。

 

私は中国人の夫と結婚し、姑と同居しています。二人は日本に対して理解があるし、私の考えも大分尊重してくれています。マナーや教育については日本の良いところを取り入れたいと考えてくれているので、私の理由でこどもを叱る時は二人にもなるべく理由を細かく説明するようにしています。でも時々「それは正しいがここには合わない」というものがあるのです。

 

中国人のマナーはよく問題になる通り、今は大分マシになってきたとは言え日本とは大違いです。例えば割り込み。私は大分中国風に慣れているとは言え今でもそれに腹を立ててしまい、割り込みされそうになると「並んでるから!」などと抵抗します。夫は海外にいる時はきちんと並びますが、中国では「そんなことに腹を立てもしょうがない、急ぐなら自分も割り込めばいい」と言います。周り皆がルールを守るからこそ並ぶ意味があり、皆が割り込んでいる状態で一人並んでも損するだけ、それを褒める人もいないし、注意されて反省する人もいないのだから意味がないと。分かっていてもそこまで割り切れない私は、やはり日本人なのです。

 

息子は2歳半でまだ幼稚園には通っていませんが、公園で他の子供と一緒になった時、買い物する時などもう既に社会に接しています。すべり台で割り込みされたり、遊具を独り占めしている子が居たり、その度に私は息子に何と言えばいいのか迷うのです。「ほら、皆きちんと並んでいるよ」などと周りと比べて教えることが出来ず、いつかこどもが「割り込んでいる人がたくさん居るのに自分だけしっかり並ぶことに意味があるのか」と疑問を持ったら、私は上手く答えられるか自信がありません。意味がないのに何故並ぶか。それは私がが日本で教わったマナーや美徳を信じているからとしか言いようがなく、それによって中国で損していることはたくさんあると思います。

 

今後日本で暮らす可能性が少ない私達の場合、息子に日本風の教育をすると、将来私のよう自分のマナーや美徳にいちいち矛盾を感じて暮らすことになるのではないか?

私はあくまでも中国に来た外国人だから矛盾を割り切って考えることが出来ても、ハーフという息子の立場ではそれが自分のアイデンティティを揺るがすことにならないか?

もし中国に合わせるなら、自分が良しと思えないことを教えたり悪いと思っていることで怒らないという、自分の判断と違うことを教えられるか?

 

毎回こういうことで頭がいっぱいになってしまうのです。

 

夫は、「きちんとした相手にはきちんとしたマナーで対応して、それが分からない相手には自分が損をしないようにそれなりに対応出来る強さを持つように、二つの常識を教えればいい」と言いますが、バイリンガルの人でも絶対に母国語が出来るように、自分の軸となる常識はどちらかに寄るしかないのではないかと思います。

 

これは中国だけでなく、他の海外で子育てする友人達とも毎回話題になるテーマです。いつも結論は出ませんが、日本のマナーの中から自分が特に大事だと思うことと現地の習慣の間を取って試行錯誤をしていくしかないのかも知れません。

 

これから世界はもっともっと混ざっていくはずです。日本もいつか“ハーフ”と区別することがバカバカしくなるくらい、他の民族や国と混ざっていくかも知れません。そうなった時、人々のマナーや習慣やアイデンティティはどうなっていくのか?

今の私にはまだ想像が付きませんが、皆が試行錯誤をして、いろいろな場所の良いものが残っていくような世界になって行けばいいと思います。そしてまだ暫くは、私も答えが出ないまま、きちんと並んで「どうぞ」が出来るように教えていくつもりです。

 

中年の熱さ。しくじり先生

突然ですが、しくじり先生にはまっています。

笑いながら、時々キュッと心が痛みつつ、また大笑いして、でもどこか少し泣きそうになりながら見ています。私が大げさなのかも知れませんが、私の周りの中年友達には反響が大きいようです。

 

私は昔から“狭くて深い”付き人付き合いを選んで来ました。自分と違う趣味や意見の人にそれを薦められたり、逆に自分の考えを説明したりすることは無駄だと思っていて、合わないなら関わらなければいいと思っていたのです。それがだんだん、自分と正反対のタイプの人と話すことがとても楽しくなってきました。

 

例えば学生の時、私は体育祭や文化祭で「放課後皆で練習しよう!」などと言い出す人が大嫌いでした。そもそも、そういう行事を楽しいとは全く思えなかったし、放課後に「練習する」も「練習しない」も自由なはずなのに、なぜ団結とか協力とかという言葉で後者が悪いものとされるのか、私は「練習しない」ことを相手に強制しないのに「なぜ練習する」ことを強制してくるのか?理不尽だと思いながらそれをはっきり断る勇気も無く、そういう人達を自分の意見を正しいと信じて押し付けてくる無神経な人だと思っていました。

 

当時私の友人も皆そういうタイプだったし、その後も同じ様な意見の人とばかり付き合ってきて、30歳を過ぎてから出会った友人がそのタイプだったと後から知ってとても驚きました。彼女は「文化祭や体育祭は皆が一生懸命頑張ってこそ楽しくなるのだから、皆で楽しもうという意見に反対する人がいるなんて思いもしなかった」と言っていました。学生生活は凄く楽しかったし、高校三年生の文化祭は青春そのものだったと。私の周りにはそういう友人はいなかったので、初めてそんな真っ当な明るい青春を体験した人の話を直に聞き、凄く新鮮でした。今だからこそ、客観的に認めることが出来るようになったことがたくさんあります。きっと当時の私は、その明るい青春を送る人達に自分のコンプレックスをぶつけ、小難しい理屈をこねながら自分の方が大人だと思いたかったという部分があったんだろうなと思います。彼女の方は、成人してから初めて私のような上司にあたり、散々苛められてるうちに強くなったと言って笑っていました。

 

当時同じ教室にいたらきっと1度も話す機会は無かっただろうし、10年前なら大嫌いになったかも知れない、今だからこそ一周回って面白いという人の話を聞く事、これは中年だからこその愉しみだなと思います。

 全然違う道を歩いてきた人が、中間地点で顔を合わせた面白さ。全然違う道だったのに、やっと自分以外の道を見渡してみたら意外な共通点もあったりする面白さ。

 

先日のしくじり先生のゲストは大事MANブラザーズバンドのボーカル立川さんでした。「それが大事」という曲は、当時私は一番毛嫌いしていた“押し付けがましい善意や明るさ”の代表のように思っていました。中身のないことを大きな声で何度も叫んで無神経で軽薄だと思っていました。そんな彼の授業は、本当に面白かった。全然相容れないと思っていた人の意見が、今はとても理解できるということ。おこがましいですが、「ああ、一緒に飲みに行きたい!」と思いました。

 

青臭い思春期を超え、粋がって大人になったと勘違いしていた18歳、それが如何に子供だったか思い知らされた20歳、ただただ自信が無かった22歳、頑張ろうとして空回りばかりした24歳、何とか形になってきた26歳、出来てみたら急に世界が狭く感じられるようになり新しい挑戦をした28歳、またゼロから頑張ることが気持ちよかった30歳、努力が形になりそれを成長させようと必死だった32歳、与えられた責任が嬉しく、同時にそれに押しつぶされないように更に必死だった34歳、ふと我に返った36歳、またゼロに戻ってやり直し始めた38歳の今。

 

中年とは言葉の通り中間地点。私達中年は今、起承転結の“転”にいる。

そこそこ話せるストーリーがあっても、それはまだ途中で結末は自分も知らないという状態。まだグラグラしている足元を隠しつつ、続く先を思って何かヒリッとしながらも、私達は笑い合う。

 

いろんな失敗をしてやっとここまで来たけど、これで終わりとは思いたくない。でも闇雲に夢を見ていた若い頃と違い、もう一度“何か起こす”のはどれだけ難しいことか分かっている。今もう一度失敗して乗り越えられるのかどうか?自分の能力の限界や身の程も分かってきた。背中にもいろいろ背負うものが増えた。それでも、やっぱりもう一度、何かを起こしたいんだ。

 

お互いこういう気持ちが見え隠れしていることを知りつつ、やっぱり過去の失敗やこれからの無謀な夢を笑い合って、バカにしつつも真剣な気持ちが愛おしく、それを表に出すほど安定した立場じゃない自分を分かっているからこそ、泣きそうになるのを抑えるようにまた大笑いする。

 

大笑いして、じゃあねと離れた途端真顔になって、背中の荷物をもう一度背負い直して、また歩き出す。

きっとあと20年後くらいにまた休憩地点があるはず。

その時にまたもっと面白い話が出来るように、もう一回腹を決めてジタバタしてみよう。

 

因みに、私のベストしくじり先生は、立川先生、杉村太蔵先生、鈴木拓先生、オリエンタルラジオ先生です。

皆昔大嫌いだった人達、そして今一番飲みに行きたい人達です。