こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

-20度の星空

今週のお題「さむい」

 

私は東京出身なので、今まで体験した最低気温はスキー場でのー5度くらいでした。私の夫の出身地は冬ー20度くらいになるところです。初めて行った時、外に出る度鼻の中に何か入ってくると思っていたら、凍った自分の鼻毛でした。食材市場ではそのまま置かれた肉や魚が完全な冷凍になっているし、涙が滲んだ目頭や目尻も凍る極寒の世界に驚きましたが、同時に何もかもがくっきり見えることに驚きました。空気が綺麗だからかなと思ったその夜。初めてその星空を見ました。

 

私が想像していた綺麗な星空よりもっとずっと星が多く、とにかく空の余白が無いほど星で埋め尽くされていて、それらがギラギラと光り、“ロマンチックな星空”なんてものでは無く、とにかく星だらけで気味が悪く不気味でぞっとしました。急に「自分はこんなに多くの星がひしめき合う宇宙の中の、小さい星にいる。」ということを思い知らされた気がして、心細くなり、急に早く明るい街並みが恋しくなりました。いつもの街灯やライトアップされたビルやいろいろなくだらない明かりで、早くこの圧迫感のある星を打ち消して欲しいと思いました。

 

私達の祖先が暗闇で灯りを求めたのは、暗闇ではなくこの星の明るさに耐えられなかったのかも知れません。あの圧迫感のある星達は、昼間見えていた世界の何百倍何千倍、それ以上の世界の中に一人でいるということを私達に思い知らせ、昼間広いと思っていた大地さえ頼りなく感じさせる。こんな広いところに浮かんでいる地球の心細さ、その怖さに耐えられなかったのかも知れません。

 

ここまで印象深かった星空ですが、昨年見たらもう怖いほどではなくなっていました。適度に隙間のある、綺麗な普通の星空でした。空気汚染もここまで来てしまったようです。こうしてまた、人間は怖いものを克服して偉そうになっていくのかも知れません。

 

今いる場所は怖いほどの星空どころか、星が1つも見えない日が多いです。子供達に一時でも満点の星空を味わって欲しくて、会社でポータブルプラネタリウムのイベントをしています。毎回皆大興奮で喜んでくれていますが、やっぱりこれは偽物。いつか本物を見て、全然違う怖いほどの迫力を体験して欲しいと思っています。

曖昧なデモが分かりません。


【動画】「9条守れ!」「集団的自衛権反対!」「I am KENJI」…首相官邸前で、後藤健二さんの解放求めデモ

昨日総理官邸前で「I'm Not Abe、殺すな」というデモが行われたそうです。先日のパリの「私はシャルリ」のデモや、17日「子供を戦争に行かせない」という女性のデモもあり、社会情勢もあって続いていますね。

 

私はこの手の曖昧なデモというものが良くわかりません。誰に何を求めているのか、目的が分からないのです。

デモ活動では、特に目立ったトラブルもなく、社会の注目を集められれば一応の成果といえる。更に加えてそれら主張が周囲に認識され、それらが他人にも受け入れられたのであれば、目的を果たしたといえる。

(“デモ活動”ウィキペディアより引用)

2014年後半の香港でのデモなど、体制に対するものは、細かい内容よりまずは反対する勢力の人数を見せつけたり社会にアピールするということ大事だと思うので分かります。私が分からないのは、普遍的で曖昧な大きなテーマをただ主張するデモです。

 

まず、スローガンが良くわかりません。聞いた後思わず、「うん、それで?」と聞き返したくなるものが多くないですか?。寒い中、こうした行動を取るのにはそれなりの考えがあってのことだと思うのに、肝心の“叫んでいる内容にする為にはどうしたらいいのか”という目的が見えて来ない、そこが私のモヤモヤの原因です。

 

「子供を戦争に行かせない」とだけ聞けば、世界中の殆どの人が賛成するでしょう。でも何故実現出来ていないのか、そこが問題な訳です。その人類普遍的な“気持ち”だけを叫ぶことの目的が分かりません。憲法第9条について述べている参加者の意見を見ましたが、それと戦争が起こることはまた別の問題です。「断固憲法9条支持、もし日本が攻め込まれることがあっても受け入れる。」といった具体的な意見を表明すれば、それに同意する人の人数で内容を世間にアピールする事が出来るのに、曖昧な内容に何人参加しても、いろいろな主張の人が集まっていたりして結局どういう意見なのか参考にもなりません。

 

「I'm Not Abe」や「殺すな」は誰に対しての言葉なのでしょうか?安倍首相の対策方法に反対なら、例えば「命を救う為なら特別増税で2億ドルを用意することに同意します。」や「今後国が強制的に日本国籍を持った人が危険地域に立ち入ることを禁止することに同意します。」のような自分が納得できる代替案を示すことで、それに対しての意見も出て議論に繋がりますが、「阿倍さんとは違う意見です。」だけでは「で?どういう意見ですか?」と聞かずにはいられません。

イスラム国に「殺すな」と言いたいなら2億ドルやヨルダンの死刑囚を解放する以外に相手が食いつきそうな案を提示すれば効果的なのではないでしょうか?殺人犯に向かってただ「殺すな!」と叫ぶ。思いっきり正論ですが、現実離れしすぎていてコントのようにも見えてしまうのは私だけでしょうか?

世間のニュースとなり世論を活性化するという目的だとしても、具体性のない内容を叫ぶ人が増えたところで、啓蒙にもならず何にも生まれ無いと思います。具体例や代替案を提示せずに不満を持っていることだけを伝えることに、何の意味があるのかが良くわかりません。

 

私も勿論戦争は無いほうがいいと思います。子供どころか自分も絶対戦場になんて行きたくありません。

私も人質2名には生きて返ってきて欲しいと思っています。

私も戦争反対、世界平和がいいです。

 

でも、戦争も、犯罪も、病気も、事故も、災害も、それら全て望むだけでは解決しないことを知っています。銃を向けられた時に、「犯罪は良くない!」と説得して助かる場合は殆どないということも知っています。だから、何か具体案を考えなければいけない。自分が考えられなければ、少なくとも考えて実行している人の足を引っ張るべきではないと思っています。

 

彼らの横で、天に向かって「長生きしたい!」「お金が欲しい!」「痩せたい!」「休みたい!」などと叫び駄々をこねていたら、彼らは私を笑うのでしょうか?

交渉という技術。その3:交渉力を最短でアップさせる方法。

交渉の話、続きです。

交渉という技術。その1:あなたは何故ぼられるのか? - こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

交渉という技術。その2:自分のルール、相手のルール。 - こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

 

72時間が経過してもまだ進展がない人質事件ですが、今も尚水面下での交渉が続いていることと思います。関係者のプレッシャーは想像を絶するものがあると思います。

 

その1,2で、日本人が他の国と交渉していく大変さを書きました。その上で更に特徴的だと思うのは、日本の場合エリートの人ほど交渉に不慣れな場合が多いと言うことです。交渉が日常的に行われる国では、一人ひとり自己主張が強くまた交渉技に長けた部下を管理出来なければ組織のトップは続けられません。ということは国のトップというのは、云わばその「交渉トーナメント」を勝ち進んできた人達です。その1で書いたように、普通の庶民ですらあのレベルなので、どれ程高レベルの戦いをして来たか、私には想像も出来ません。

 

それに比べ、日本はガツガツと交渉するのはガラが悪いイメージがあり、生活水準や教育レベルの高いエリートほどそういう争いとは無縁で生きて来た人が多いと思うのです。たまにそのような地位に方とお会いしたり、関係者から聴く話だと、やはり皆穏やかで品の良い方達ばかりでした。

 

中国語には英語のように、「言ってはいけない言葉や表現」があります。それらはもちろん学校では教えないので、中国人の生活に接しなければ耳に入ることもがなく、きちんと中国語勉強した人に限って知らない場合が多いです。しかしその「言ってはいけない言葉」にこそ、そこに住む人達の気質が見え隠れしていたりするものです。英語と同じく、悪い意味から転じて凄くほめる時にも使われたり、地域によって違ったり、普段は堅い上司が腹を割って部下と話す時にはわざとスラングを使つと砕けた印象になるとか、時と場合と相手によって絶妙に使い分けられています。

 

海外で重要な交渉をするポジションの人ほど、外国人が集まる安全な地域で生活をしています。それはもちろん大切ですが、しっかり守られた安全な場所からは庶民の暮らしが見えません。庶民の暮らしが見えなければ、彼らの上に立つ人の背景や考え方も見えてこないのはないでしょうか?世間知らずな外国人ボスの下でローカルスタッフやベンダーが自由に羽を伸ばすことは良く見る光景で、そういう人こそ自分のスタッフは皆人が良いと思っている場合が多いです。また部下を見るとボスの力量が分かるというもまた事実です。

 

じゃあどうするか?交渉力を短時間で身につけるには、定価が無く日常的に交渉を使う国で、最低3ヶ月位現地の庶民が暮らすアパートに住み、そこの平均月収の所持金で生活するのが一番です。まずは野菜の値段を交渉するところから始めれば、自然とどういう表現が効果的か、周りがどのような作戦で値切っているのか、そこの人達に取ってのアメと鞭は何か、身についていくのではと思います。私は狙った訳でなく、来た当初ただ単にお金と知り合いがいなかったのでしょうがなくそういう生活をしていたのですが、今となっては大分役に立っていると実感します。割と真面目にいい方法だと思うので、根性と時間がある人はやってみたらどうでしょうか?もし何かトラブルが起こったらそれもまた特別授業、今後起こりうるトラブルの縮小版なのかもしれません。

交渉という技術。その2:自分のルール、相手のルール。

昨日から引き続き交渉の話です。

交渉という技術。その1:あなたは何故ぼられるのか? - こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

 

日本にはチップという習慣がないので、海外旅行で戸惑ったという話はよく聞きます。それが賄賂になると一点、社会派や犯罪の匂いを帯びて絶対にいけないこととなります。それではその区別は何処にあるのでしょうか?

賄賂:権力者に対し、職権を用いて便宜をはかってもらうために渡す、お金や高価な物品のこと。又はその行為。(はてなキーワード)

チップ:感謝の気持ちを現金で表すもの。(はてなキーワード)

 その他、ネットで見てみると法に触れるものは賄賂、結果に対して払うものがチップ、結果を期待して払うのが賄賂などいろいろな意見がありました。それでは事前に払う旅館での“心付け”は賄賂に当たるのかなどの記事もあり、それ程までに日本人は賄賂に対して罪悪感を持っているということの証明だと思います。

 

しかし、場所が変わればルールは変わるものです。自分のルールが運よく多数派の場合は良いのですが、日本は少数派であることが多いので、国を出たらその場合慣れないルールの下で勝負をしなければなりません。

今では大分マシになったとは言え、中国では今も賄賂は横行しています。横行というよりは生活に密着していて、チップと賄賂と心付けを明確に分けて説明出来る人はいないのではないかと思います。

 

ある日系企業のイベントで、会場への心付けを支払っておらず嫌がらせをされて内容を縮小したことがありました。心付けの要求は当然面と向かって要求される訳ではありません。何気ない言葉の端々に濁してヒントだけチラつかされるだけです。嫌がらせも実際の理由や原因が説明されることは有りません。その時の嫌がらせは、「安全上の理由」ということで次々に改善要求を出されるというものでしたが、日本側は真面目に一つ一つそれに従い、改善するとまた次のお題が出され、仕舞いには「釘一本、ガムテープに至るまで全ての材料の品質証明書を提出するまで会場は使用禁止」という内容になり、結局会場の一部が使用禁止になってしまいました。それら全ては心付けを求めるヒントだったのですがその会社は最後まで気付かず、「そういう規則を先に提示しないなんて非常識だ」や「やはり日本企業は嫌がらせをされる」と会場に対して怒ったまま終わりました。

 

会場側も非常識は百も承知な訳です。日本に対する嫌がらせどころか、普段こんなに分かりやすいヒントを出してくれることはないので、私は意外に優しいと感じた程です。後日、同じ会場で別の日系企業のイベントが行われましたが、その時はスタッフの休憩室まで用意され、会場の協力もあり大成功しました。具体的に何をしたのかは知りませんが、その会社の担当者は海外での長い経験から、「中国なんてまだ分かりやすい方だ。」と笑っていました。今この二つの会社名を挙げたなら、成功した会社は「買収」や「賄賂」として問題視され、失敗した方は「誠実」な会社と評価が上がるのでしょうか?

 

もし、失敗した方の会社がその原因も分かった上で、「イベントの成功よりも自身の道徳観念を優先する」と決断しこの行動を取っていたなら、勝負に負けた訳ではなく自ら選んだ結果です。ただ、意味が分からぬまま望まない結果となり、その原因を相手に求めても、それはただ敗者の弁どころか試合にすら参加出来ていなかったように見えます。

 

心付けをいつどんな方法でどのくらい渡すのか?渡すからには最大限効果的に利用する方法を考える、場所によってはそれもまた一つの交渉技術です。そこに生まれる良心の呵責から逃げられない人は、日本から出ないか、日本と限りなく似たルールの場所を探すか、又は自分のルールに相手を引き込んで勝負出来るほどの力をつけるかしかありません。人の家に上がりこんでその家をだらしないと責めても、「じゃあ帰れ」と言われて終わりでしょう。

 

日本の潔癖さは良く知られています。日本の政治家の贈収賄の額に、中国人は半ば信じられないと言った顔で驚きます。もちろん少なすぎるからです。その潔癖さはある場面では誠実さとして尊敬され、信用となるでしょう。しかし場面によっては、違う結果になるということ、それを知った上で尚積極的な選択をした時に初めて“誠実”と言えるのではないでしょうか?ルールの違う場所でポリシーを貫き通すには、それに変わる力が必要なのです。自分の考えを変える訳ではなく、何処までが本質なのか優先順位をつけることが必要なのではと思います。

「誠実であること」=「何があっても100円単位でお金への潔癖を突き通すこと」ではないと思っています。

 

交渉という技術。その1:あなたは何故ぼられるのか?

今まさに72時間に日本の交渉力が試されています。しかし日本での日常生活で“交渉”はかなり縁遠いものではないかと思います。私は日本を出てから、今まで“交渉”して来たつもりだったのは、実は“相談”や“確認”だったということを思い知りました。

 

あなたは中国の観光客相手の店でスーツケースを買おうとしています。店側の第一声が「500元」だった時、あなたはどう返しますか?

日本人を案内してきた経験だと450元、400元位が多かった気がします。中には「交渉はまず半額からだと聞いた。」と言う人もいて、彼は250元と返し、やり取りが合って結局300元に決まり、店の人はニコニコ愛想よく、買った方も「200元も値引いた!」と機嫌よく楽しく買い物が終わりました。でもその後同じ商品を中国人が70元で買っていきました。あなたならこれを知ってどう思いますか?「230元騙された」と思いますか?

 

それではその店vs客の熾烈な戦いを、解説付きで見てみることにしましょう。

1、客は通る客をじろじろ見ている。
→服装、持ち物、話し方を観察し相手の経済力、観光客か地元の客か、冷やかしか目的があるかなどを判断。客も同じく店の雰囲気などからその価格帯や売り方などを観察し予想している。
2、客は目ぼしい商品を置く店を見つけたが、とりあえずは通り過ぎ離れた所からその店と別の客とのやり取りを見ている。

→店が客に対してどういう態度で交渉するのか、その店の値段はどのくらいかという情報収集をしている。

3、客はやっとその店に近づき、何気なくいくつかの商品を見渡して関係ないカバンの値段をいくつか聞いた後、やっとお目当てのスーツケースの値段を聞く。店の第一声は400元。

→客は他の商品の値段からその店の対応を見て、対策の為の材料にする。店は、客の服装が綺麗だったのと丁寧な言葉遣いから地元の客ではないと判断し、外国人よりは抑えた吹っ掛け値段で様子を見る。

4、客が笑って、「分かった。」とだけ言って立ち去ろうとしたら、店は「待て待て、いくらなら買うんだ?」と持ちかけた。

→客は「おれはこの商品の相場を知っているからぼったくるのは無理だ」というアピール、店は「お前がぼったくれない客だというのは分かった、ちゃんと勝負しよう」という意味。

5、客は「ここは観光客相手なんだろう?他の店で買うよ」と更に離れる。

→別にこの店で買わなくてもいいんだという脅し。

6、店は「わかったよ。こちらもストレートも商売しよう。これは○○の良い材料を使っているし、この部分の作りも丁寧だ。そしてこんなに頑丈だから200元でどうか?」

→簡単にぼったくるのは諦めたので、具体的なセールスポイントをアピールし始めた。
7、客は「何が○○材料だ、そんなもの何処にでもあるしここの作りもこんなに雑だ。まだ騙す気ならもう行くわ。」

→実際は結構良いなと思っているが、値下げさせる為に気に入っていないことをアピールしている。

8、店「じゃあいくらなら買うんだよ?」、客「50元だろ、こんなの」

→店は客の言い値から作戦を考えようとしている。客の本心では100元までなら買えると思っているが、敢えて50元と言って相手の顔色を見てみる作戦。

9、店「そりゃ無理すぎる。原価にも全然足らない。嘘なら他の店で聞いてみな。」

→実際の原価は50元で、いいところ突かれたと思っている。

10、客「さっきあっちの店で聞いたらこのくらいだった。」

→聞いてないが、更に押してみて反応を見る。

11、店「じゃあしょうがないからそっちの店で買えばいい。うちは本当に無理。」

→原価50元だから他の店でも売らないと思い勝負に出ている。

12、客「俺もあそこまで戻るのは面倒だな、じゃあお前は幾らで売る気だよ?」

→店の態度から50元では無理と知り、相手の言い値で判断しようとしている。

13、店「じゃあもう本当に大サービスで150元、人に言うなよ。」

→人に言うなよ、で特別感と本当にギリギリだということをアピールしている。

14、客「それじゃ全然高すぎる、やっぱり諦めるわ。」

→相手の表情などからまだ余裕があると判断した。

15、店「わかった、わかった。じゃあお互い歩み寄ろう、間を取って100元はどうだ?」

→100元までならまだ許せる、これで勝負を決めようと思っている。

16、客「じゃ、やっぱり他の店で買うわ。高い。」店「じゃ、80元。もう本当に限界だ。」

→客も勝負に出ている。店は50元原価だから70元くらいで売る店もあるかもと自信がなくなり限界価格を提示。

17、客「うーん、どうしようかな。あれ、でもここに傷もあるしなー。」

→80元でいいけど、あともう踏ん張り出来ないか試してみる。

18、店「そんな傷なんでもないって」客「いや結構目立つ」

→ここで最後の根気比べ。

19、店「あーもう分かった。70元。これでいいだろ!」客「OK,ありがとう」

→店が根気負け。一応の利益は出ているから売れ残るよりはマシという判断で渋々決断。

20、店は苦い顔で金を受け取りもちろん何のお礼の言葉もなく投げるように商品を手渡し目もあわせないが、客側は気にすることなく上機嫌で返っていった。

 →店の態度を見て、客も限界まで責めて更に勝利したことを確信し上機嫌。

 

書いただけで疲れました。この戦いには20分くらい掛かっているはずです。この勝者が300元の日本人より優れていた点はどこでしょうか?

  •  商品に対する知識(大体の原価や今売れ筋なのかなど)
  • 情報収集力(他店での販売価格、店側の対応の癖など)
  • 交渉するのに十分な時間(時間が無ければそこで戦いは終了です。)
  • 観察力(相手の状況を読む力、つまり相手の表情から持ち札を探ること。)
  • 演技力(自分の目的やゴールを見破られないようにする演技力)
  • 根気(焦った方が負け。焦らして勝つのもまた作戦です。)

つまり、交渉力です。 

あなたはこれらの時間と労力を掛けてその差額“230元”を勝ち取ろうと思いますか?思わないなら、300元騙されたのではなく妥当な値段だったのです。つまり時間と労力を230元で買った訳です。この勝者も、時間が無かったり知らない土地で買う時は、同じ戦いは出来ないと判断して高めの金額で手を打つはずです。つまりこの交渉力が金額に換算されているということなのです。

 

スーツケース一つ買うのにここまでやる気はしないという人も、これが何百万元の取引ならどうでしょう?たかだか70元のやり取りに、一般的市民である彼らは日々このような交渉を繰返しているのです。700万元ならどういう準備と作戦を使うでしょうか?もしこれが一般庶民でなく組織のトップならどんな技術を持っているのでしょうか?もしこれが2億ドルだったら、どんな技術を持った人間がどんな作戦で向かってくるでしょうか?

私はそんな交渉に立ち会ったことはありませんが、それでも大事な場面で日本人が大失敗をし、本人はそれにも気付かず勝負にならぬまま終わったということを、自分の例も含めて数多く経験し見てきました。

 

定価が無い国はたくさんあります。子供の頃からりんご一つ買うのでも交渉をして来た人と、大人になり海外で初めて経験する人、そこには何十年という時間の差だけでなく日々周りの手ごわい敵と戦ってきた経験値の差もあり、それを埋めることは簡単ではありません。今水面下で何が行われているのか知る由もありませんが、どうか、有効な策がありますように、心から祈ります。

知りたくない、というのは逃げでしょうか。

頭の中の不要ファイル

インターネットを使うようになってから一番困ることは、知りたくないこと、知る必要が無かったこと、興味がないこと、それらの情報を目にする回数が格段に上がったことです。少しの隙間に大量の情報が入り込み、それらは何かしらの残痕を残していきます。パソコンのメンテナンスで「不要ファイルやレジストリの掃除」という言葉を見て、私の頭にもたくさん溜まっていると感じました。普段意識はしないし、何かの思いや考えを生み出すほど固まってはいないイメージや印象の破片。それらがかなりの容量を占領してきている気がします。

 

「世界」の範囲

世の中には日々たくさんの深刻な問題が起こっています。自分に直接関係が有る場所無い場所、友人知人がいる場所いない場所、行ったことがある場所ない場所、聞いたことがある場所無い場所、それぞれの出来事が同じように入ってきます。

昨日近所で極端に甘やかされている子供を目にして心が動いたことは、残痕としてまだ頭に残っています。自分の子供や親戚の子供、友人の子供の話ももちろん残ります。同じ様に街で見かけた物乞いの子供や日本の虐待の事件、アフリカでエボラ疑いの子供が殺されたりインドで少女が強姦されたとか、世界中の数限りない悲惨なことの情報がどれも並列に入って来ます。まともに一つ一つ向き合えば、どれも皆同じように切羽詰った助けを必要としていて、「今あなたがこうしている間にもまた、」と言われるまでもなく本当に苦しくなります。

 

遠い世界の大きな問題と、目の前の小さな問題

その他にもありとあらゆる情報が隙あらば凄い量で流れ込んできて、その一つ一つが問題提起をしてきます。でも、私が出来ることには限界がある。問題の重要性を知らされ、同時に自分には何も出来ないことを思い知り、無理やり目を瞑り自分の目の前にある問題と向かい合う、その繰り返しが1日に何回もある訳です。見ないフリをする癖は、目の前の出来事に対する反応まで鈍らせます。逆に敏感になっている時は、遠いニュースの一つ一つが心を刺してきて耐えられません。

当事者や関係者の気持ち、私がもし当事者ならどうするか?犯人の背景、彼は何を考えているか?私がこうしている間、遠いあの場所ではどんな時間が流れているのか?

それでも私は完全に役立たずの傍観者に過ぎないのです。そして私の目の前にはその1万分の1くらいの小さい問題が起こっており、それは世界では小さくても私に取っては大きく、また私以外に解決出来る人がいないので、他への気持ちをシャットアウトしてまたその小さい問題に取り組む必要があるのです。

 

一人が抱えられる世界の大きさ

一人の人間が接する世界はこの何十年かで数百倍も大きくなりました。ご近所や知り合いの話から、その地区、その県、県から地域、国、アジア、世界。でも、一人の人間が抱えて、消化出来る世界は同じように増えたのでしょうか?私に限って言えばそこまで変わっていないように感じ、だから必死で見ないフリ感じないフリをする癖がついたのだと思います。それでも少しでも心が動けば残痕が残り、その破片で容量が占領され、目の前の物事に心を動かす空間が減ってきているように感じるのです。

 「何も出来なくても知ることが重要」。私もそう思い、なるべく多くのことを知り体験しようと思って来ました。でもここ数年、自分の容量に限界があることを感じるようになりました。そして処理能力と容量の限界があるなら、それらを出来るだけ活かせる使い方をしたいと思っています。

「自分が何も出来ないことに捕らわれて、自分が出来ることが疎かになるくらいなら、知らない方がいい。」

遠い世界と目の前の世界に優先順位をつけるということ、しかし絶え間なく入ってくる情報はそれにも罪悪感を感じさせます。

 

入ってくる情報を選ぶことは出来ないのだから、「そこから如何に有用なものを選びだし活用するか」が必要なスキルだということはわかります。でも不必要な情報を効率よく切り捨てられない時、それに縛られてしまう時があります。

 

そんな時、目を閉じて耳を塞ぎ、「知りたくない。」ということは逃げでしょうか?

今この時も、あの砂漠とオレンジと黒と6つの目が頭から離れず、そこから目を逸らすべきなのか、傍観しているべきなのか、分からずにいます。

 

現金書留が使えている間、日本はまだ大丈夫だ。

先日日本に帰国している際、母が親戚から送られた現金書留を受け取っているのを見て、久々にこの言葉を思い出しました。最高50万円までの現金金額を明記した紙の封筒に入れて、全国どこへでも何人もの手を渡って家に配達されるというこのシステム、冷静に考えたら物凄いことです。日本に居た頃も殆ど使ったことが無かったので忘れていました。ちょうどその日、ロンドン在住の友人と話す機会がありこの話題を持ち出したところ、彼女も忘れていたようで、お互いに驚いて「日本はすごい」とため息をつきました。

 

封筒が二重になっているとか、割り印をするとか、損害賠償があるとか、郵便追跡が出来るとか、このくらいのセキュリティーでこのシステムが成立していること。それは同時に社会全体の成熟や安全性を証明しているのです。

 

1、受付から配達までの郵便局員全てが盗むことなく、利用者もそれを信じている。

→受付、仕分け、配達など様々な業務を担当する局員がほぼ同じレベルの道徳感や責任感を持ち、金額に対する感覚もまたほぼ同じある。

2、もし何か問題が起こったら、全国何処の郵便局でもこの規約の通りに対応することが出来、利用者もそれを信じている。

→地域によって情報が偏ることなく、田舎でも都会でも同じ規約で同じ対応が出来、また全国どこの利用者でもそれを知っている。

3、全国何処の郵便局でも同じルールで運営されていて、全国何処の利用者もその利用方法を知っている。

→割印や封の仕方など細かいルールが全国の郵便局員全てに浸透しており、全国どこの利用者もその情報を得ることが出来、またそれに従うスキルがある。

 

因みに母にこのことを話しても、全く伝わりませんでした。それもまた、日本の凄さだと思いそれ以上説明するのを辞めてしまったのですが、ここで改めて考えてみることにします。

 

1、割印したって封をしたって、結局はただの紙。破ればすぐお金が手に入ります。ご丁寧に金額まで明記しているので、大金が入っていることが一目で分かる状態になっているにも関わらず、誰も盗みません。また受付から玄関に配達するまで、何部門何人の人の手を介されるのでしょうか?それらの人々の道徳感責任感がほぼ同レベルというのは、収入や出身地や学歴の差に関係なく同レベルの教育が行き届いているということです。また、お金の価値がどの担当者に取っても大体同じであるということも大きな理由です。日本でも1000万円を同じ方法で送るのは危険だと感じると思いますが、同じ1万円でも人によっては1000万の価値になるという国はたくさんあります。だから50万円という上限を、全員が妥当だと思えるということもまた凄いことなのです。

 

2、もし何かあっても絶対に然るべき対応をしてもらえるはずだと信じるには、まず全国の郵便局員と全国の利用者がその規約を知っていることが前提です。銀行や郵便局や役所などで、同じ都市であっても中心地と郊外で対応やルールが変わってしまうという国はたくさんあります。おそらく配属されているスタッフの学歴や生活背景も違うだろうし、「共通のルールを守る」ということを重視するかしないかということすら共通の概念というものがありません。だから利用者側は、企業がどんなに素晴らしいサービスやルールを作ったとしてもそれがすぐに行き渡り実行されるとは信じません。施行されて実際に何度か経験したり人の体験談を聞いたりしてやっと少しずつ信じ始め、浸透するのです。

 

3、「二重封筒をしっかり糊付けして割印をする。」この方法はどの郵便局の窓口で聞いても教えてくれるでしょうし、糊や朱肉は貸してもらえることでしょう。これもまた、当たり前ではありません。上記2と同様、そんな細かいルールに至るまで浸透していることと、必要な備品が揃っていること、更に皆それに従うことが出来るということはまたとても難しいことです。おそらく中国だと「二重封筒をしっかり糊付けして割印をする。」と何度口で言っても出来ない人がいるでしょう。面倒くさくてやらない人もいれば、そういう細かい事務作業をしたことが無いから頭が混乱して出来ないという人もいます。それに対して局員がきちんと対応出来るとは限らず、彼自身もこのルールの意味を理解せず「テープでも何でもとりあえず貼ればOK」のような自分のルールを作りだし、「テープの上に捺印できないから捺印もなし」と更に変更されていくのはよくあることです。因みに中国はサインの国でハンコは使いませんが、今の私は日本の利用者が皆このハンコを忘れずに持ってくることにすら驚きます。

 

現金書留以外にも、日本には外から見ると奇跡としかいえないようなシステムがたくさんあります。私も昔は当たり前と思い気にも留めていませんでしたが、一度離れるとその凄さを思い知ります。

格差社会など問題が日本でも取り上げられるようになりました。確かに日本だけで比べると変化しているでしょう。それでもまだ、日本は他の国から見れば奇跡だと思えるほど、安全で安定した国です。私の母のように、そこに何の疑問を抱かず当たり前と思っている人が多いこともまた、その証明です。

 

国の所得格差を比較した表を見てみました。

国連貧富比(全世帯を所得の大きさで10段階に分類した時、最富裕層と最貧困層の所得比):つまり数字が大きいほど格差があるという事です。

国の所得格差順リスト - Wikipedia

  • 中国 21.6%
  • アメリカ 15.9%
  • インド 8.6%
  • 韓国 7.8%
  • メキシコ 21.6%
  • イギリス 13.8%
  • イタリア 11.6%
  • ブラジル 40.6%
  • 南アフリカ 33.1%
  • ロシア 12.7%
  • ケニア 13.6%
  • アルゼンチン 31.6%

日本は4.5%です。

これだけで全てを比較することは出来ませんが、目安にはなると思います。

 

改めて日本は素晴らしいと思います。ただ、今までが奇跡だったということも、そろそろ皆知っていかなくてはならないのではとも思います。これから人口が減って、社会のシステムも経済も縮小していく中で、維持できなくなってくるものもあるはずです。その便利だったものを守ることに固執し過ぎると、そこに縛られてもっと厳しくなるという本末転倒な問題も起こるでしょう。今の様々な「奇跡のシステム」を、これからもっと少ない規模と予算と人数で負担していくことが出来るのか?そこまでして本当に必要なのか?私達の年代にはその問題と直面する時が近づいて来ているように思います。

 

しかしそれでも、私の話を遮って「仕事中にお金を盗もうと思う人なんていないよ。」と言い切り、配達してくれた郵便局員を玄関に入れ、彼を残したまま部屋にハンコを取りに行き、「ご苦労様です。寒いでしょ?」と声を掛けて両手で封筒を受け取る母を見て、何はともあれ出来るだけ長くこういう日本が残るようにと願ったのもまた事実です。