こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

ブログ嫌いがブログを始めた壮大な言い訳。その1 不特定多数に向けて話すということ。

この時代になって、私は未だに素人がブログで個人的なことを発信するということが、上手く飲み込めていません。

SNSはもっとです。嫌いというよりは、

理解出来ない→でも凄い流行っている。→ちょっと覗いてみる→もっと良くわからない→怖い

という感じ。

何が分からないか分析してみると、私は

「不特定多数の人に向けての発言をする時の心持ち」

がわからないのだと思います。

 

私にはいろいろな立場があります。

  • かなり不完全とはいえお母さんという立場
  • 同じくかなり不完全とはいえ妻という立場
  • 日本人という立場
  • この年の女性としての立場
  • 仕事をしている立場(仕事の内容が様々なので、それぞれ立場が違う)

などなど。

それぞれはもっと細かく分類され、例えばお母さんというカテゴリーには(男の子のお母さん)や(仕事をしているお母さん)などという更に細かく分かれます。他も同じ。合計すると結構な側面の数です。友人や知人はそのそれぞれの立場で出会った訳で、どれかに共通点があります。(もちろん複数の共通点がある人もたくさんいます。)

 

私はそれぞれの立場で起こったこと、思ったことはそれが伝わる同じカテゴリーを持った人に伝えたい、意見を聞きたい、共感したいと思って話しているのだと思います。もちろん相手のカテゴリーを全て把握している訳ではないので、カテゴリー違いと思ったことに意外にも共通点があったと言うこともありますが、その場合は少し「カテゴリー外の人が分かるような内容」にアレンジして伝えているはずです。また、カテゴリー違いの人に話す場合は、「この人に聞いたら何か違う見方があるのでは」とあえて話してみるパターンです。

 

逆に、どんな話も全くカテゴリー違いでそこに興味のない人にぶつけても、相手は迷惑なばかりか誤解を生んでしまう可能性があると思います。日本では二枚舌やこうもりに表されるように人によって態度を変えるというのは悪い事となっていますが、態度を変えるのではなく、相手に合った面だけ見せる=相手に合わない面は積極的には見せないという事です。ネットで起こる争い(論争ではなく)は殆どが、「その議論に至るまでの基本的な背景の共有が出来ていない事から起こる誤解が原因だと思っているし、その誤解したまま別の次元でNOと言っている人と、理解した上でNOという意見の人が見た目には同じように扱われることにも凄く違和感を覚えます。意味のない争いを生み無駄な労力を掛けているように思われる割にメリットが分からないというのが素直な感想でした。

 

だから私は不特定多数相手に何を話すべきなのか全く分からないのです。ブログやSNSをしている先輩方は、どうなんでしょうか?

1、自分の立場の中から一つを決めている。

2、全てを総合した立場を新しく設定している。

3、それともどの立場でも変わりがないその人というオリジナルなキャラクターが定着している。

周りの人に聞いてみたところ、殆どが1か2でした。3のような人は本人では自覚していない場合が多いのかも知れません。

私はどうするのか?まだ決められていません。何か何者でも無いフワフワとした状態で今この文章を書いています。

 

その人の知らない面を垣間見る醍醐味というものも理解しているつもりですが、それは自然に訪れるからこその面白さと新鮮味とうれしさがあるように思えてならないのです。

 <言い訳その2へつづく。>