こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

嫌な予感しかない二十歳を迎えた人へ

トピック「成人式」について という文字を見て、ドキッと心臓が痛みました。

私の人生で、今のところ一番戻りたくないのが14歳、その次が二十歳です。

 

14歳の時は、自分の中のどす黒いものをどうしていいか分からず持て余していまし

た。それが他の人にも有るのか無いのか、良くわからずに全部隠すと辛いし出すと

引かれるしでさじ加減も分からず、クラスで皆が楽しそうにしていることを楽しい

と思えず、自分の好きなものが周りに理解されない。こんな事も当時の私にとって

はすごく重要な謎で、笑い飛ばす余裕なんて全くなく戸惑っていました。

 

自分の中のそういったものを何とか手懐ける事に成功し、人との距離感や誰とどう

付き合うかを覚えやっと楽に過ごせるようになって来たのに、もう少しで放り出さ

れるという気分で二十歳の1月を迎えました。専門学生だった私は3月に卒業を控

えていたからです。

 

私は高校生の時から何故か裏方に興味があり、その中でも舞台照明に憧れてその

学校に入りました。でも入学して、皆が張り切って業界用語を使っていたり“業界

の作法”のようなものを押し付けてくる雰囲気がとても嫌で、あまり行かなくなっ

てしまいました。変な挨拶や呼び方、先輩や関係者との付き合いなど、無知だった

私は専門職の世界にもそんなものがあるとは思わなかったのです。

 

私はずっと、''具体的な意味は無いけど必要とされている事”に従うことがすごく

苦手でした。昔から「今は学生という受身な立場だから親や学校に従うしか

ないし、他に比べるところがないから学生自ら意味の無いことで比べあったり

するんだ」と、一刻も早く働いて自立したいと思っていました。自己責任と

いうものが欲しくてたまらなかったし、働くというのは成果という明確な

ルールだけで判断されるのだと思っていたからです。それなら私にも理解できる

し分かりやすいと思っていました。だからこそ専門の技術や知識だけで勝負

出来るような世界という意味でも裏方に憧れていたのに、その世界にも意味の

無いルールがあると知り物凄く失望したのを覚えています。ドラマだけの知識

でサラリーマンの世界は人付き合いの世界だと思い込んでいたのでそれも絶対に

無理、「もうどこでもやっていけない。」と八方塞のような気がしていました。

 

それでも2年目の秋頃、自分の好きだった作品に関わっていた照明会社に面接に

行ったら落ちて、他の会社にバイトとして行ってみたら狭い世界に実力とは

無関係の縦社会があり、やっぱり駄目だと思ってそこを辞めたのが正月でした。

そんな私に取ってその年の成人式は、道が無いということだけが分かった状態で

もうすぐ放り出されるのを待っているという、暗いものでした。

 

母から「成人式どうする?着物着たいなら準備するよ。」と言われて、

「準備するお金を用意しているならそれで旅行に行くから現金でちょうだい。」

と答えました。昔から親にお金を貰うのは親に従わなければならない証拠になる

ような気がしてすごく嫌だったし、初めから成人式に行く気はありませんでした

が、旅行に行くお金はバイトで用意していました。

それなのに無邪気に楽しみにしているような母の様子に苛立ってついそう返して

しまい、罪悪感と今後の人生への嫌な予感でもう自分にもうんざりでした。

 

もし、あの時の自分に何か言えるなら。

もし、今同じように感じている二十歳の人がいるなら。

 

あなたの嫌な予感なんて全く当たらなかった。

嫌なことや怖いことはそんな想像を遥かに超える酷さだったし、あなたがこれが

自分だと思っていたのはまだまだほんの一部だった。

いつの間にか予想もしなかった方向へ流されていることもあるし、

変えたくてジタバタしても何も変わらないこともある。

思っていた程自分は特別ではないし、意味がないとか嘘ばかりだと思っていた

世間によくある話にも真実があったりした。

とにかく、あなたはまだ何も知らない。

あなたが今の私の状態を知ったら喜ぶか落ち込むか呆れるかわからないけど、

とにかくあなたの予想とは100%違う。

だから、そこでストップするのはもったいないよ。先を知りたくない?

 

ただ問題は、

二十歳の頃の私は、こういうありきたりな話を先輩面でしてくる四十間近の

おばさんが一番嫌いだったということ。

絶対に、生意気な態度で聞き流されて終わりだと思うけど、それでもおばさんは

しつこく絡んであなたともっと話したいと思うよ。