こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

曖昧なデモが分かりません。


【動画】「9条守れ!」「集団的自衛権反対!」「I am KENJI」…首相官邸前で、後藤健二さんの解放求めデモ

昨日総理官邸前で「I'm Not Abe、殺すな」というデモが行われたそうです。先日のパリの「私はシャルリ」のデモや、17日「子供を戦争に行かせない」という女性のデモもあり、社会情勢もあって続いていますね。

 

私はこの手の曖昧なデモというものが良くわかりません。誰に何を求めているのか、目的が分からないのです。

デモ活動では、特に目立ったトラブルもなく、社会の注目を集められれば一応の成果といえる。更に加えてそれら主張が周囲に認識され、それらが他人にも受け入れられたのであれば、目的を果たしたといえる。

(“デモ活動”ウィキペディアより引用)

2014年後半の香港でのデモなど、体制に対するものは、細かい内容よりまずは反対する勢力の人数を見せつけたり社会にアピールするということ大事だと思うので分かります。私が分からないのは、普遍的で曖昧な大きなテーマをただ主張するデモです。

 

まず、スローガンが良くわかりません。聞いた後思わず、「うん、それで?」と聞き返したくなるものが多くないですか?。寒い中、こうした行動を取るのにはそれなりの考えがあってのことだと思うのに、肝心の“叫んでいる内容にする為にはどうしたらいいのか”という目的が見えて来ない、そこが私のモヤモヤの原因です。

 

「子供を戦争に行かせない」とだけ聞けば、世界中の殆どの人が賛成するでしょう。でも何故実現出来ていないのか、そこが問題な訳です。その人類普遍的な“気持ち”だけを叫ぶことの目的が分かりません。憲法第9条について述べている参加者の意見を見ましたが、それと戦争が起こることはまた別の問題です。「断固憲法9条支持、もし日本が攻め込まれることがあっても受け入れる。」といった具体的な意見を表明すれば、それに同意する人の人数で内容を世間にアピールする事が出来るのに、曖昧な内容に何人参加しても、いろいろな主張の人が集まっていたりして結局どういう意見なのか参考にもなりません。

 

「I'm Not Abe」や「殺すな」は誰に対しての言葉なのでしょうか?安倍首相の対策方法に反対なら、例えば「命を救う為なら特別増税で2億ドルを用意することに同意します。」や「今後国が強制的に日本国籍を持った人が危険地域に立ち入ることを禁止することに同意します。」のような自分が納得できる代替案を示すことで、それに対しての意見も出て議論に繋がりますが、「阿倍さんとは違う意見です。」だけでは「で?どういう意見ですか?」と聞かずにはいられません。

イスラム国に「殺すな」と言いたいなら2億ドルやヨルダンの死刑囚を解放する以外に相手が食いつきそうな案を提示すれば効果的なのではないでしょうか?殺人犯に向かってただ「殺すな!」と叫ぶ。思いっきり正論ですが、現実離れしすぎていてコントのようにも見えてしまうのは私だけでしょうか?

世間のニュースとなり世論を活性化するという目的だとしても、具体性のない内容を叫ぶ人が増えたところで、啓蒙にもならず何にも生まれ無いと思います。具体例や代替案を提示せずに不満を持っていることだけを伝えることに、何の意味があるのかが良くわかりません。

 

私も勿論戦争は無いほうがいいと思います。子供どころか自分も絶対戦場になんて行きたくありません。

私も人質2名には生きて返ってきて欲しいと思っています。

私も戦争反対、世界平和がいいです。

 

でも、戦争も、犯罪も、病気も、事故も、災害も、それら全て望むだけでは解決しないことを知っています。銃を向けられた時に、「犯罪は良くない!」と説得して助かる場合は殆どないということも知っています。だから、何か具体案を考えなければいけない。自分が考えられなければ、少なくとも考えて実行している人の足を引っ張るべきではないと思っています。

 

彼らの横で、天に向かって「長生きしたい!」「お金が欲しい!」「痩せたい!」「休みたい!」などと叫び駄々をこねていたら、彼らは私を笑うのでしょうか?