こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

ブログ嫌いがブログを始めた壮大な言い訳。その2 縁の力。友達と知り合いとそれ以外のさじ加減。

前回の言い訳の続きです。

今回はブログというよりSNSが苦手な理由です。

私は宗教や占いにはあまり思い入れがないのですが、なぜか縁だけはとても信じています。縁に任せる、流れに任せるというようなことです。

例えば、会いたいと思った人に無理やり会ってみると何故かあまりいい出会いにならなかったり、逆に放っておいたらひょんな縁で会うこと出来、それが結果的にベストなタイミングだったりするということがあります。相手も自分も日々変化しているので、良い関係の人でも出会うタイミングが1年違ったら全く話が合わなかったかもと思う人もいます。結果、会うべき人やモノとは必要な時に出会うように出来ていると、神秘主義的な考えを持っていたりもします。

だから、“超”合理的に、強制的に縁をつなぐSNSが苦手なのです。

 

私には「直接連絡しないけど、とりあえず掲げておきたいメッセージ」がありません。伝えたいことは直接連絡したいし、そうでない場合は放っておきます。

例えば「大変な事が起きた」と書いた人に、直接連絡は取らないけれど「ファイト!」的なスタンプを押すような心持ちのわからなさ、そこが私の苦手の源です。

「一応気には掛けているけど直接連絡を取るまでではないよ。」と言った気持ちをわざわざ表すなんて興醒めだし、失礼な気がしてしまうのです。その程度の気持ちの動きにいちいち行動に表していたらキリがないという気持ちもあったのですが、覗いてみるときめ細かに対応している方がたくさんいて驚きました。批判している訳ではなく。「親しい友人」と思っている友人に対しても、半年1年連絡を取らずにいることが多い私にとっては驚異的な連絡の量でした。(半年1年その友達を思い出さないと言うことではないのです。何度も思い出すけれど、言うまでもないという期間がそれだけあるということ。多分相手もそうだからこそ、私と友達でいてくれているのだと思いますが。)

 

何かのきっかけで出会った人達、今はただの知り合いでもいつかひょんなきっかけでもう一歩進んだ友達になるかも知れない。ただ、それは今じゃない。

ある日、不意にその人のことを思い出して連絡を取りたくなる日が来るはず。

そういう可能性に期待しつつ、そこを無理にこじ開けずに待つという方法で今まで過ごして来たのですが、今まではそこに何の疑問も不便も感じずにやっていました。

 

それではなぜ、今更始めようとしているのか。

私の言い訳はまだ続きます。