こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

No More オシャレライフ。

深い色のフローリングに白い壁。シンプルだけど丁寧に作られた必要最小限の家具。大きめのグリーンが太陽の光を浴びている横で、丁寧に入れたコーヒーを飲みながらゆっくり本でも読んでみる。シンプルだけど落ち着ける、居心地のいい空間。

 

こんな生活にずっと憧れていました。

私は狭い家に二世帯6人で暮らす東京下町の魚屋に生まれたので、いろんなものがぎゅうぎゅうでごちゃごちゃして賑やかな暮らしでしたし、何より自分が片付けが苦手だということがかなりのネックになっていました。「生活感の無い部屋」。それが、生活感に溢れかえる家で暮らす私の憧れでした。念願の一人暮らしを始めた頃はお金がなく、人から貰ったりしたありあわせの家具で何とか生きられれば良しという生活だったし、ある程度お金を稼ぐことが出来るようになってからは仕事に追い立てられてばかりで暮らし方を考えるような気持ちの余裕がなく、徐々に「ああいうのは暇だから出来るんだ。」なんて心で悪態をつくようになりましたが、それでも本当はどこかで凄く憧れていたのだと思います。その後益々忙しくなり、もはや家は寝に帰るだけの場所となり、別の意味で生活感が無くなっていきました。

 

 出産を前に仕事から離れ、とうとうあのオシャレライフを実践出来るかも知れないという時、田舎から姑が上京し同居することになりました。彼女は中国の田舎に暮らしていた人で、洗濯機や掃除機を使ったこともなく、エレベーターに乗るのは3回目といって11階の部屋に上がる間私の腕をぎゅっと掴んでいました。彼女が来てから、部屋はあっという間に生活感が溢れ出しました。家で食事を作ることなんて滅多に無かった部屋にたくさんの調味料や食材が並び、白では縁起が悪いからと言ってベッドカバーが真っ赤なバラになり、ソファーには手編みのカバーが付きました。その後子供が生まれ、片付けても片付けてもまた元通りに散らかるおもちゃや、付けられた壁の傷を隠そうと張ったポスターもまた破られ、結局私の家は今も昔と同じ、生活感だけが溢れています。それでも何とかしようと家具を変えてみたり、どんどん増える姑の手編み作品にため息をついたりしていました。

 

 そんなある日、お邪魔した知り合いの家で私は自分が憧れていたままのオシャレな生活に出会いました。そのお宅にも小学生の子供がいるというのに全くモノがなく細かいところまで掃除が行き届いた広々とした空間、シンプルで素敵なインテリアに囲まれて私達はゆっくりお茶を飲んでいました。私は別の用事で訪れたのですが、私はついついどうやってこういう素敵な暮らしを維持しているのか聞いてみました。彼女はさっぱりとした人で、お手伝いさんを雇っていること、子供の玩具が散らかっていたら即没収して箱にしまい学校の成績アップと引き換えに返すこと、なるべく外国製の日用品を買うが無理なら隠すなど、私に教えてくれました。(中国ではお手伝いさんを雇うことは日本ほど特別では有りません。)ほら、こんな感じだよとその没収された玩具の箱を開けて見せてくれた時、中にくしゃくしゃに突っ込まれた布が見えました。彼女は「姑が子供の服や家具のカバーなんかを作って送ってくれるんだけど、趣味が悪くて困っちゃう。」と言って笑いました。その瞬間、私は何故だか突然泣きたくなって急いで話題を変えました。

 

 帰り道、同居した当初、急激に手を加えられていく家に耐えられずお手伝いさんを雇うことを提案した私に「他人を家に入れるくらいなら私が何でもやるから。」と言って笑った姑の顔を思い出しました。私はそれを聞いた時、「そういう意味じゃないのに」とゲンナリしたのですが。姑が「スーパーは高いし新鮮じゃないから駄目だ」と遠くまで野菜を買いにいく姿を思い出しました。いつか会社に飾って欲しいと半年かけて作ってくれた、2mもある刺繍の壁掛けを思い出しました。子供の頃、私が書いた絵を母が家の壁にかけていて、友達が来るから恥ずかしいと言っても外してくれないことに腹を立てて全部破いことを思い出しました。初めての一人暮らしの家にまともなカーテンが無く、服飾学校に通っていた友達が余ったからと持って来てくれた奇抜な模様の布を掛けていたことを思い出しました。

 

 私にはシンプルライフなんて無理だ。私はがちゃがちゃしたいろんな人の優しさの中で生きてきたのだし、そのごちゃごちゃな風景の一つ一つが私の思い出と直結している。それらを全部オシャレな箱に閉じ込めても、やっぱり私にはその中身が気になって、そわそわして、きっと落ち着いてお茶なんて飲んでいられないだろう。私が憧れていたのはインテリアやセンスではなく、私とは全く別のリズムで進む別の生活なのかも知れない。

いろんな人の趣味が混ざり合って統一感の無いめちゃくちゃなセンス、何故かいつも無くなってしまうハサミ、誰かが出しっぱなしにしている読みかけの雑誌、子供に玩具を片付けさせるために毎日起こる騒動、何個もあるのにまた夫が買ってくる工具、田舎の親戚から送られてきた大量の食材、いつの間にか貼られたシール、そんなモノ達が私の生活を作っている。

 

どこをどう見ても隠せない生活感。

「それがどうした。生活してんだ。じぶんちで格好つけてどうする?庶民が気取ったってしょうがねえ。」

家に友達を呼べないと、どうしてうちはこうなの?と父に当たった時に言われた台詞が今、すごくしっくりきた。

 

生活してるんだ。格好悪いけどそれがどうした。

 

それでもやっぱり整理整頓を、一応今年の目標とします。