こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

「好きを仕事にする」ことが出来なかったら。


もう何日か前に上がったニュースですが、再度その反応を取り上げられていたので私も考えてみました。私は一応好きを仕事にしていると言えます。でも、この記事を見ても何だか全くピンと来ないので、なぜなのか考えてみることにしました。

好きを「職業」にはしている。
学生の頃、定時出勤、満員電車、スーツ、付き合い、接待、女同士の会話のようなものが所謂「サラリーマン、OL」で自分には絶対に出来ないと思っていました。「じゃあ他に何ができるか?」という消去法の視点が出発点でしたが「自分の腕で稼ぐストイックな職人」という単純なイメージで、私は裏方になりたいと思っていました。舞台照明に的を絞りましたが、実はそこにも私が苦手な「サラリーマン的なもの」がある事を知り、すごくショックを受けました。その後紆余曲折ありつつも結局は照明に携わる仕事をし、中国に来ても続けており、今は子供関係の会社を作ったりと横道に逸れてはいますが、まだ本業も続けています。結果から見ると私は「好きを仕事にした」と言えるでしょう。

好きな職業と好きな仕事はまた別。
私は、実体の無い光で架空の世界を作り出すことが出来る照明の仕事が好きですが、だからと言って、「光を扱う仕事なら何でも大好き!」と言う訳ではありません。好きだからこそ、自分の好みがはっきりしてしまいがちです。また照明と言っても打ち合わせもあれば予算を考えて見積もりを作ったり、いろいろな側面があります。つまり、「好きな職業」の中にもまた、いろいろな内容の仕事がある訳です。SF漫画が好きで漫画家になったのに子供向け漫画で生活しているとか、アメリカが好きで貿易の仕事を選んだのにアジア担当になっているとか、デザインは好きだけど打ち合わせは苦手だとか、こういう例は山ほどありますよね。
逆に、もし私があれ程までに恐れていた「OL」になっていたとしても、その実際は多種多様な仕事がある訳で、その中に好きな仕事を見つけていたかも知れません。

そう考えると“仕事”と一つに括って「好きか嫌いか」と二極化する事は無理があり、それががあの記事のどの意見にも全く共感出来なかった理由だと思います。

「好き」に拘るより「好き」を見つけること。
「好き」だと思う理由も内容も、時間や経験と共に変わるものです。私のように浅いイメージで思い込んでいた人もいるだろうし、実際やってみたら変わって来たという人もいるでしょう。自分が思っているより「好き嫌い」はあっさり変化する時があるものです。だから何も経験していないうちに、自分のイメージだけの「好き」に拘って仕事を探すと、過度な期待から必要以上のショックを受けたり失望したりします。どんな仕事にもたくさんの要素があります。だから、好きな職業に就けなかったと言って諦めたり、就けたからと言って期待し過ぎることなく、その中に自分の好きを見つけていけばいいのだと思います。
「サラリーマン的な仕事」の中にも職人的な要素があり、「職人的な仕事」の中にもサラリーマン的な要素があるのです。

嫌いな仕事は無駄か?
私は好きな職業についてしまったばっかりに、好みが出て<好きな仕事≠儲かる仕事>という問題にぶつかりました。生活の為に仕事をしているので、当然好きでない仕事をする割合が大きく、「こんな事をする為にこの職業を選んだ訳じゃない」と嫌になることも多かったです。
でも「お金が回る仕組み」や「好き嫌いとは別の“プロとしての基準”」や「自分以外の人の好みや傾向」や「効率のよい段取り」などなど、私に欠けていたものはすべてこの好きでは無かった仕事から学びました。結果、嫌いだし苦手だと思っていた仕事の中で、以外に楽しく出来るようになったものもありました。

その上で、今もう一度好きな仕事の割合を増やそうと思い、これまでの環境をガラっと変えて一からやってみようと今動き出したところです。

 

尾田栄一郎は物凄い幸運の持ち主だったのか?
職業にもいろいろな仕事がある中で、尾田さんは「好きを職業にし、更に好きな仕事をしていて、尚且つ非常に成功している」という物凄い運が良かった究極の勝ち組という見方もあるでしょう。でもそういう人は、「好きでない仕事」をすることになってもいつの間にか「好きな仕事」に変えてしまうパワーがあるからこその結果なのだと思うのです。

だから、まずは好き嫌いという入り口で判断しないでとりあえずやってみよう!
あの時の自分に言ってあげたい言葉です。