こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

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現金書留が使えている間、日本はまだ大丈夫だ。

先日日本に帰国している際、母が親戚から送られた現金書留を受け取っているのを見て、久々にこの言葉を思い出しました。最高50万円までの現金金額を明記した紙の封筒に入れて、全国どこへでも何人もの手を渡って家に配達されるというこのシステム、冷静に考えたら物凄いことです。日本に居た頃も殆ど使ったことが無かったので忘れていました。ちょうどその日、ロンドン在住の友人と話す機会がありこの話題を持ち出したところ、彼女も忘れていたようで、お互いに驚いて「日本はすごい」とため息をつきました。

 

封筒が二重になっているとか、割り印をするとか、損害賠償があるとか、郵便追跡が出来るとか、このくらいのセキュリティーでこのシステムが成立していること。それは同時に社会全体の成熟や安全性を証明しているのです。

 

1、受付から配達までの郵便局員全てが盗むことなく、利用者もそれを信じている。

→受付、仕分け、配達など様々な業務を担当する局員がほぼ同じレベルの道徳感や責任感を持ち、金額に対する感覚もまたほぼ同じある。

2、もし何か問題が起こったら、全国何処の郵便局でもこの規約の通りに対応することが出来、利用者もそれを信じている。

→地域によって情報が偏ることなく、田舎でも都会でも同じ規約で同じ対応が出来、また全国どこの利用者でもそれを知っている。

3、全国何処の郵便局でも同じルールで運営されていて、全国何処の利用者もその利用方法を知っている。

→割印や封の仕方など細かいルールが全国の郵便局員全てに浸透しており、全国どこの利用者もその情報を得ることが出来、またそれに従うスキルがある。

 

因みに母にこのことを話しても、全く伝わりませんでした。それもまた、日本の凄さだと思いそれ以上説明するのを辞めてしまったのですが、ここで改めて考えてみることにします。

 

1、割印したって封をしたって、結局はただの紙。破ればすぐお金が手に入ります。ご丁寧に金額まで明記しているので、大金が入っていることが一目で分かる状態になっているにも関わらず、誰も盗みません。また受付から玄関に配達するまで、何部門何人の人の手を介されるのでしょうか?それらの人々の道徳感責任感がほぼ同レベルというのは、収入や出身地や学歴の差に関係なく同レベルの教育が行き届いているということです。また、お金の価値がどの担当者に取っても大体同じであるということも大きな理由です。日本でも1000万円を同じ方法で送るのは危険だと感じると思いますが、同じ1万円でも人によっては1000万の価値になるという国はたくさんあります。だから50万円という上限を、全員が妥当だと思えるということもまた凄いことなのです。

 

2、もし何かあっても絶対に然るべき対応をしてもらえるはずだと信じるには、まず全国の郵便局員と全国の利用者がその規約を知っていることが前提です。銀行や郵便局や役所などで、同じ都市であっても中心地と郊外で対応やルールが変わってしまうという国はたくさんあります。おそらく配属されているスタッフの学歴や生活背景も違うだろうし、「共通のルールを守る」ということを重視するかしないかということすら共通の概念というものがありません。だから利用者側は、企業がどんなに素晴らしいサービスやルールを作ったとしてもそれがすぐに行き渡り実行されるとは信じません。施行されて実際に何度か経験したり人の体験談を聞いたりしてやっと少しずつ信じ始め、浸透するのです。

 

3、「二重封筒をしっかり糊付けして割印をする。」この方法はどの郵便局の窓口で聞いても教えてくれるでしょうし、糊や朱肉は貸してもらえることでしょう。これもまた、当たり前ではありません。上記2と同様、そんな細かいルールに至るまで浸透していることと、必要な備品が揃っていること、更に皆それに従うことが出来るということはまたとても難しいことです。おそらく中国だと「二重封筒をしっかり糊付けして割印をする。」と何度口で言っても出来ない人がいるでしょう。面倒くさくてやらない人もいれば、そういう細かい事務作業をしたことが無いから頭が混乱して出来ないという人もいます。それに対して局員がきちんと対応出来るとは限らず、彼自身もこのルールの意味を理解せず「テープでも何でもとりあえず貼ればOK」のような自分のルールを作りだし、「テープの上に捺印できないから捺印もなし」と更に変更されていくのはよくあることです。因みに中国はサインの国でハンコは使いませんが、今の私は日本の利用者が皆このハンコを忘れずに持ってくることにすら驚きます。

 

現金書留以外にも、日本には外から見ると奇跡としかいえないようなシステムがたくさんあります。私も昔は当たり前と思い気にも留めていませんでしたが、一度離れるとその凄さを思い知ります。

格差社会など問題が日本でも取り上げられるようになりました。確かに日本だけで比べると変化しているでしょう。それでもまだ、日本は他の国から見れば奇跡だと思えるほど、安全で安定した国です。私の母のように、そこに何の疑問を抱かず当たり前と思っている人が多いこともまた、その証明です。

 

国の所得格差を比較した表を見てみました。

国連貧富比(全世帯を所得の大きさで10段階に分類した時、最富裕層と最貧困層の所得比):つまり数字が大きいほど格差があるという事です。

国の所得格差順リスト - Wikipedia

  • 中国 21.6%
  • アメリカ 15.9%
  • インド 8.6%
  • 韓国 7.8%
  • メキシコ 21.6%
  • イギリス 13.8%
  • イタリア 11.6%
  • ブラジル 40.6%
  • 南アフリカ 33.1%
  • ロシア 12.7%
  • ケニア 13.6%
  • アルゼンチン 31.6%

日本は4.5%です。

これだけで全てを比較することは出来ませんが、目安にはなると思います。

 

改めて日本は素晴らしいと思います。ただ、今までが奇跡だったということも、そろそろ皆知っていかなくてはならないのではとも思います。これから人口が減って、社会のシステムも経済も縮小していく中で、維持できなくなってくるものもあるはずです。その便利だったものを守ることに固執し過ぎると、そこに縛られてもっと厳しくなるという本末転倒な問題も起こるでしょう。今の様々な「奇跡のシステム」を、これからもっと少ない規模と予算と人数で負担していくことが出来るのか?そこまでして本当に必要なのか?私達の年代にはその問題と直面する時が近づいて来ているように思います。

 

しかしそれでも、私の話を遮って「仕事中にお金を盗もうと思う人なんていないよ。」と言い切り、配達してくれた郵便局員を玄関に入れ、彼を残したまま部屋にハンコを取りに行き、「ご苦労様です。寒いでしょ?」と声を掛けて両手で封筒を受け取る母を見て、何はともあれ出来るだけ長くこういう日本が残るようにと願ったのもまた事実です。