こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

海外で子供を育てるということ。

トピック「叱り方」について

私には2歳半の息子がいます。言葉も動きもだんだん達者になってきて、“良い、悪い”を教えていく時期が始まりました。そして今私が目の当たりにしている問題は、「家庭内のダブルスタンダード」です。

 

日本に居る時、私は日本に馴染めないと思い、自分が日本人だという自覚も薄かったので、世界の何処で暮らしても同じだと思っていました。それが実際に海外に生活してみると、はっきりと“自分が日本人である”という当たり前の事実に気付かされました。善悪の判断だけでなく、知識や好みやセンスなど、自分の考えだと思っていたことにも大きく“日本”が影響していることに気付きました。逆にそういう様々な事についての共感を通して、“私たちは日本人”と国籍とは別に認め合っているところもあると思います。

 

こどもを叱る時、やっぱり私は日本人としての基準で判断しているし頭にはいつか誰かに言われた言葉を思い出しています。

  • 間違ったり悪い事をしたら認めて謝る。
  • お礼をきちんと言う。
  • 割り込みせずきちんと並ぶ、独り占めせず譲りあう。
  • 食べ物は残さず食べる。

これらを当たり前と思うことも日本人を表しているのです。

 

私は中国人の夫と結婚し、姑と同居しています。二人は日本に対して理解があるし、私の考えも大分尊重してくれています。マナーや教育については日本の良いところを取り入れたいと考えてくれているので、私の理由でこどもを叱る時は二人にもなるべく理由を細かく説明するようにしています。でも時々「それは正しいがここには合わない」というものがあるのです。

 

中国人のマナーはよく問題になる通り、今は大分マシになってきたとは言え日本とは大違いです。例えば割り込み。私は大分中国風に慣れているとは言え今でもそれに腹を立ててしまい、割り込みされそうになると「並んでるから!」などと抵抗します。夫は海外にいる時はきちんと並びますが、中国では「そんなことに腹を立てもしょうがない、急ぐなら自分も割り込めばいい」と言います。周り皆がルールを守るからこそ並ぶ意味があり、皆が割り込んでいる状態で一人並んでも損するだけ、それを褒める人もいないし、注意されて反省する人もいないのだから意味がないと。分かっていてもそこまで割り切れない私は、やはり日本人なのです。

 

息子は2歳半でまだ幼稚園には通っていませんが、公園で他の子供と一緒になった時、買い物する時などもう既に社会に接しています。すべり台で割り込みされたり、遊具を独り占めしている子が居たり、その度に私は息子に何と言えばいいのか迷うのです。「ほら、皆きちんと並んでいるよ」などと周りと比べて教えることが出来ず、いつかこどもが「割り込んでいる人がたくさん居るのに自分だけしっかり並ぶことに意味があるのか」と疑問を持ったら、私は上手く答えられるか自信がありません。意味がないのに何故並ぶか。それは私がが日本で教わったマナーや美徳を信じているからとしか言いようがなく、それによって中国で損していることはたくさんあると思います。

 

今後日本で暮らす可能性が少ない私達の場合、息子に日本風の教育をすると、将来私のよう自分のマナーや美徳にいちいち矛盾を感じて暮らすことになるのではないか?

私はあくまでも中国に来た外国人だから矛盾を割り切って考えることが出来ても、ハーフという息子の立場ではそれが自分のアイデンティティを揺るがすことにならないか?

もし中国に合わせるなら、自分が良しと思えないことを教えたり悪いと思っていることで怒らないという、自分の判断と違うことを教えられるか?

 

毎回こういうことで頭がいっぱいになってしまうのです。

 

夫は、「きちんとした相手にはきちんとしたマナーで対応して、それが分からない相手には自分が損をしないようにそれなりに対応出来る強さを持つように、二つの常識を教えればいい」と言いますが、バイリンガルの人でも絶対に母国語が出来るように、自分の軸となる常識はどちらかに寄るしかないのではないかと思います。

 

これは中国だけでなく、他の海外で子育てする友人達とも毎回話題になるテーマです。いつも結論は出ませんが、日本のマナーの中から自分が特に大事だと思うことと現地の習慣の間を取って試行錯誤をしていくしかないのかも知れません。

 

これから世界はもっともっと混ざっていくはずです。日本もいつか“ハーフ”と区別することがバカバカしくなるくらい、他の民族や国と混ざっていくかも知れません。そうなった時、人々のマナーや習慣やアイデンティティはどうなっていくのか?

今の私にはまだ想像が付きませんが、皆が試行錯誤をして、いろいろな場所の良いものが残っていくような世界になって行けばいいと思います。そしてまだ暫くは、私も答えが出ないまま、きちんと並んで「どうぞ」が出来るように教えていくつもりです。