こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

10年前の私と10年後の私に何か言えることがあるか?

今週のお題「10年」

10年前の今頃、私は中国に来て1年半。ひょんなきっかけでここで暮らすことになり、日本人の友達もいないままローカルにどっぷり使った生活であっという間に時間が過ぎ、なんとかめちゃくちゃな中国語でコミュニケーションには困らないようになり、知り合いも出来て気付いたら1年半経っていました。この時期中国は日本の正月にあたる春節という大型連休があります。何もかも目新しく過ぎた1度目とは違い、2度目の春節は冷や汗が出る思いで過ごしました。中国人は家族と賑やかに過ごし日本人は帰国する人が多い中、飛行機チケットを買うお金も無い私は中国人の友達の家に呼ばれて餃子を食べたりしていましたが、急に我に返り30歳を目の前にしてのこの現状に焦っていました。

当時の日記(というかモヤモヤ吐き出しメモ)を振り返ってみると、不安と焦りの言葉ばかりで、今見ても息が詰まりそうになります。

 

海外で暮らすということについて、日本で考えていたことが如何に甘かったか。

来た当初は、言葉や生活習慣など基本的なことを覚えるのに必死でそれ以外考えられなかったけれど、急に身にしみてきた外国人として違う国で暮らすという事実。

どれだけ言葉を覚えても中国人には敵わないという当たり前のこと。

言葉が出来ることと仕事が出来ることは全く別であるということ。

今まで“外国人のお客さん”という特別扱いをされていたということ、それが無くなった状態で戦う為にはどうすればいいか?

これ以上ここにいて何があるのか、道を誤ったなのなら引き返すのは今なんじゃないか?

 

そもそも私は中国に対して全く興味がなく、他の国で暮らそうと準備していました。そんな時“ひょん”としかいえない縁でここに来て仕事を一つしたのですが、中国のことをなめて掛かったら、「レベルが低すぎ!」と思った現地レベルと対して変わらない出来になってしまい、それが悔しくて離れることが出来なくなってしまったのです。日本ではありえないアクシデント連発だったとは言え、同じ条件で圧倒的に違うものが作れない限り中国にあれこれいう資格がないという意地だけで残ったものの、1年半で見えてきたのは自分に足りないものが山ほどあるという事ばかりで、どうしたらいいのか道が全く見えませんでした。何度も「もう辞めた」「だってそもそも中国になんて来る予定じゃなかったし」などと言って離れようかとも思いましたが、その度に「“何かをしてから”帰らないとこの1年半が思い出したくないただの時間の無駄になる」ということが頭をよぎるのですが、「何かする」為にどうしたらいいかわからないという袋小路。どこかに「10年後、この頑固な自分の性分を恨むことになっているんじゃないか」と嫌な予感ばかりしていました。

 

10年経って、今。

あの時の私に何か言ってあげられるかと考えても、何も浮かびませんでした。あれから本当にいろいろなことがあって、当時1%も想像していなかった状態になっている私。思い返せばジェットコースターのような10年でしたが、その時々の自分はいつも目の前の出来事に振り回されてジリジリとした思いだったし、毎回“ひょん”なきっかけの連続に流されてきただけなので、ろくにアドバイスも思い浮かびません。何より、今の自分を見て当時の私は何と言うだろうか?そこが全く想像できません。多分全く話がかみ合わないと思います。それくらい変わりました。

 

ということは、私は今もきっとジェットコースターに乗っているのです。この先どうなるか、今もまた全く分からないので振り返れないのだと思います。でも10年後を思う時、出来ればジェットコースターを降りて緩やかな道を散歩していて欲しいと思うようになりました。どこで、何をしているかは相変わらず全く予想できませんが。

 

あと3日で今年も春節です。今年もまた、落ち着きとは間逆の、新たな不安や希望を抱えて爆竹を聞くことになりますが、10年前とは大きく違うこと。

それは自分の家族と家で餃子を作って食べること。

10年前、仕事のことばかり考えていた私が聞いたら、もしかするとがっかりするかも知れない。でもそれが凄く嬉しく感じるくらいに私はあっさりと変わった。だから自分で自分の未来を想像して心配するなんて無駄なことをせず、目の前のことだけを必死にやっておけ!と先輩面で言ってやることぐらいは出来そうです。