こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

こども嫌いがこどもに関わる会社を始めた理由。

元こども嫌いがなぜそんな会社を作ったか?

 

自分が親になったから。

 

こんなつまらない理由です。

中国にこどもを遊ばせたい場所がなかったし、見せたいものがなかったから。

「それじゃ自分で作ってしまおう。」

これが全てです。

何の見通しもなく、こんな単純な理由で始めてしまいました。

でも、だからこそ、適当なものを作ったのではわざわざこんな事をする意味がない。

こども達に面白いものを届けたいという気持ちだけは本物です。

 

中国には一人っ子政策の影響もあり、こどもが非常に大事にされています。こどもや教育に関わる産業はどんどん増えているし、成長を続けています。それなのに、そのどれも好きになれなかったのはなぜか?それはまた別の日に改めて。

 

そもそも、なぜこども嫌いが親になったのか?

それもまたいずれ。

 

 

 

ブログ嫌いがブログを始めた壮大な言い訳。その3 じゃあ、なぜ始めたのか?

 言い訳の続き、これで最後にします。

 

その1,2で私が苦手だった理由を書きました。

「そんな偏屈な奴は関わらずに好きにしていればいい」 と思われていると思います。私もそう思っていました。

それが、なぜ今始めたのか?それはこの初めての分野で一から仕事を始めてみたことが全てです。

 

1、知り合える人の量への魅力

頑なに自然に出会える縁を信じていた私ですが、新たな分野で一から仕事を始めてみると、新しいことを調べる事が必要になりました。何も知らずに始めてしまったので、新しい業界には知り合いや先輩もいません。そんな時、分からない事を知っているであろう誰かを知らないので聞きようがなく、私の偏った交友関係ではどうにもならないということを悟りました。何かの目的の為に更に大きな窓口を構える。これもネットだから出来ることなんですよね。

お恥ずかしいことに、facebookの次はなどが当たり前の話題の世の中で、これが私のリアルタイムの感想です。

2、もらうばっかりでずるい?

友人に言われた事です。なるほど、私にとっては「自分の事を世界に発信」なんていうのは大それた事だったのですが、出すことが普通の世の中では出さないことは自分だけ隠しておいてずるいという考えになるのかも知れません。言われてみれば、私はブログを見るだけでコメントなどしたこともなく、役に立ってありがたかった気持ちを伝えたりもしていませんでした。なぜならこの人は私の知り合いではないから。ここでまた言い訳その2の、人付き合いの距離感問題が持ち上がるのです。

ずるいと言った友人は、ネットにはネットの付き合い方の距離感があり、私がそれを知らないから何でもリアルの距離感の物差しで図ろうとし矛盾が生まれていると指摘しました。もし私が感想や自分の経験を相手に伝えていれば、相手も何か得るものが会ったのかも知れないと。これは分かりやすかった。中国でも初めは人付き合いの距離感を掴めず苦労しました。同じことなんじゃない?と言われてスッと腑に落ちた気がしました。それなら、このネットでの距離感というものを体験する為にやってみようと思えるようになりました。

3、素人の情報の必要性

1、有名人、

2、プロの文章を書く人

3、会社、アフリエイトなどでの収入目的の人

4、人にお裾分け出来る専門知識がある人

今までこれ以外の人がブログをする理由が分からず、大変失礼ながら本人の自己顕示欲を満たすという意味しかないのだろうと思っていました。本や映画でも、私はその作られた作品が好きでオフショットやエッセーにはあまり興味がない方だったので、今まで私が見るブログも4だけでした。

また、私は二十歳から今までずっと同じ業界にいたこともあり、今まで壁にぶつかった時は自分に何が足らないのか割と理解出来ていたので、それに必要な答えだけをピンポイントに探していました。それが今は新しい業界で、困ったことがあっても解決方法はおろか原因すらわからず、何をどう探すかさえわかりません。そこで、似たような状況の人のブログで具体的なキーワードを得て、そこから的を絞って探すという方法を取ることがあります。同じように悩んでいる所謂素人の情報が私に取ってはとても役に立ち、どんな情報でも誰かの役に立つことがあるという事を身を持って知りました。

私が書いていく文章が誰かの役に立つかは甚だ疑問ですが、もしかして意味があるかも知れないと思うことだけでも、恥ずかしさや怖さを超えてやってみようという気持ちを後押ししてくれます。

 

4、やらず嫌いは駄目

これは“縁”の次に私が信じている事です。私は割りと思い込む性格なので、物事をやる前とやった後で意見が180度変わるなんてことが多々ありました。だから未経験な事に対する自分の意見は信用出来ないと、自分自身どこかで考えています。そのせいでバカな事をしてしまったという失敗も数々ありましたが、更にもうひとつの信条が「やらないでする後悔よりやった後の後悔」なのでしょうがないです。このブログやSNSについてもやらず嫌いになっているのではと自分で気が付いてしまった以上、とりあえずやってみてから判断するかと思っています。その結果辞めるかもしれませんが、その時にはもっと違った意見を持てているはずなので良しとしましょう。

また、今後会社を宣伝していく時に、ネットでの距離感を持っていたいという下心もあります。今まではネットによって何かが広がっていく現象を傍からから眺めていただけなので、自分もその世界に小指だけでも突っ込んでから眺めるのはまた違うのだろうと思っています。

 

そんなこんなで、とりあえずブログから始めてみることにしました。

本当に今時こんな重い(面倒くさい)意気込みでブログを始める人なんているのだろうか?これが10年前くらいなら誰か共感してくれたかも知れませんが、自分で書いていて情けなくなってきました。もうこれ以上言い訳はやめて、これからはこういう人が始めた会社がどうなるのか、記録していけたらなと思います。

また、この新しい方法が面白い出会いを運んでくれることを祈っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ嫌いがブログを始めた壮大な言い訳。その2 縁の力。友達と知り合いとそれ以外のさじ加減。

前回の言い訳の続きです。

今回はブログというよりSNSが苦手な理由です。

私は宗教や占いにはあまり思い入れがないのですが、なぜか縁だけはとても信じています。縁に任せる、流れに任せるというようなことです。

例えば、会いたいと思った人に無理やり会ってみると何故かあまりいい出会いにならなかったり、逆に放っておいたらひょんな縁で会うこと出来、それが結果的にベストなタイミングだったりするということがあります。相手も自分も日々変化しているので、良い関係の人でも出会うタイミングが1年違ったら全く話が合わなかったかもと思う人もいます。結果、会うべき人やモノとは必要な時に出会うように出来ていると、神秘主義的な考えを持っていたりもします。

だから、“超”合理的に、強制的に縁をつなぐSNSが苦手なのです。

 

私には「直接連絡しないけど、とりあえず掲げておきたいメッセージ」がありません。伝えたいことは直接連絡したいし、そうでない場合は放っておきます。

例えば「大変な事が起きた」と書いた人に、直接連絡は取らないけれど「ファイト!」的なスタンプを押すような心持ちのわからなさ、そこが私の苦手の源です。

「一応気には掛けているけど直接連絡を取るまでではないよ。」と言った気持ちをわざわざ表すなんて興醒めだし、失礼な気がしてしまうのです。その程度の気持ちの動きにいちいち行動に表していたらキリがないという気持ちもあったのですが、覗いてみるときめ細かに対応している方がたくさんいて驚きました。批判している訳ではなく。「親しい友人」と思っている友人に対しても、半年1年連絡を取らずにいることが多い私にとっては驚異的な連絡の量でした。(半年1年その友達を思い出さないと言うことではないのです。何度も思い出すけれど、言うまでもないという期間がそれだけあるということ。多分相手もそうだからこそ、私と友達でいてくれているのだと思いますが。)

 

何かのきっかけで出会った人達、今はただの知り合いでもいつかひょんなきっかけでもう一歩進んだ友達になるかも知れない。ただ、それは今じゃない。

ある日、不意にその人のことを思い出して連絡を取りたくなる日が来るはず。

そういう可能性に期待しつつ、そこを無理にこじ開けずに待つという方法で今まで過ごして来たのですが、今まではそこに何の疑問も不便も感じずにやっていました。

 

それではなぜ、今更始めようとしているのか。

私の言い訳はまだ続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ嫌いがブログを始めた壮大な言い訳。その1 不特定多数に向けて話すということ。

この時代になって、私は未だに素人がブログで個人的なことを発信するということが、上手く飲み込めていません。

SNSはもっとです。嫌いというよりは、

理解出来ない→でも凄い流行っている。→ちょっと覗いてみる→もっと良くわからない→怖い

という感じ。

何が分からないか分析してみると、私は

「不特定多数の人に向けての発言をする時の心持ち」

がわからないのだと思います。

 

私にはいろいろな立場があります。

  • かなり不完全とはいえお母さんという立場
  • 同じくかなり不完全とはいえ妻という立場
  • 日本人という立場
  • この年の女性としての立場
  • 仕事をしている立場(仕事の内容が様々なので、それぞれ立場が違う)

などなど。

それぞれはもっと細かく分類され、例えばお母さんというカテゴリーには(男の子のお母さん)や(仕事をしているお母さん)などという更に細かく分かれます。他も同じ。合計すると結構な側面の数です。友人や知人はそのそれぞれの立場で出会った訳で、どれかに共通点があります。(もちろん複数の共通点がある人もたくさんいます。)

 

私はそれぞれの立場で起こったこと、思ったことはそれが伝わる同じカテゴリーを持った人に伝えたい、意見を聞きたい、共感したいと思って話しているのだと思います。もちろん相手のカテゴリーを全て把握している訳ではないので、カテゴリー違いと思ったことに意外にも共通点があったと言うこともありますが、その場合は少し「カテゴリー外の人が分かるような内容」にアレンジして伝えているはずです。また、カテゴリー違いの人に話す場合は、「この人に聞いたら何か違う見方があるのでは」とあえて話してみるパターンです。

 

逆に、どんな話も全くカテゴリー違いでそこに興味のない人にぶつけても、相手は迷惑なばかりか誤解を生んでしまう可能性があると思います。日本では二枚舌やこうもりに表されるように人によって態度を変えるというのは悪い事となっていますが、態度を変えるのではなく、相手に合った面だけ見せる=相手に合わない面は積極的には見せないという事です。ネットで起こる争い(論争ではなく)は殆どが、「その議論に至るまでの基本的な背景の共有が出来ていない事から起こる誤解が原因だと思っているし、その誤解したまま別の次元でNOと言っている人と、理解した上でNOという意見の人が見た目には同じように扱われることにも凄く違和感を覚えます。意味のない争いを生み無駄な労力を掛けているように思われる割にメリットが分からないというのが素直な感想でした。

 

だから私は不特定多数相手に何を話すべきなのか全く分からないのです。ブログやSNSをしている先輩方は、どうなんでしょうか?

1、自分の立場の中から一つを決めている。

2、全てを総合した立場を新しく設定している。

3、それともどの立場でも変わりがないその人というオリジナルなキャラクターが定着している。

周りの人に聞いてみたところ、殆どが1か2でした。3のような人は本人では自覚していない場合が多いのかも知れません。

私はどうするのか?まだ決められていません。何か何者でも無いフワフワとした状態で今この文章を書いています。

 

その人の知らない面を垣間見る醍醐味というものも理解しているつもりですが、それは自然に訪れるからこその面白さと新鮮味とうれしさがあるように思えてならないのです。

 <言い訳その2へつづく。>

 

 

 

 

 

 

はじめまして。

今まで全く別の仕事をして来ましたが、

訳あって子供向けコンテンツを提供する会社を作りました。

ブログ、SNS、とても苦手で今まで一切して来なかったのですが、

思うところあってこれもやってみることにしました。

いつまで続けられるのかも、それ以前に誰か見る人がいるのかも分かりませんが、

とりあえずやってみようと思います。

よろしくお願いします。