こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

「好きを仕事にする」ことが出来なかったら。


もう何日か前に上がったニュースですが、再度その反応を取り上げられていたので私も考えてみました。私は一応好きを仕事にしていると言えます。でも、この記事を見ても何だか全くピンと来ないので、なぜなのか考えてみることにしました。

好きを「職業」にはしている。
学生の頃、定時出勤、満員電車、スーツ、付き合い、接待、女同士の会話のようなものが所謂「サラリーマン、OL」で自分には絶対に出来ないと思っていました。「じゃあ他に何ができるか?」という消去法の視点が出発点でしたが「自分の腕で稼ぐストイックな職人」という単純なイメージで、私は裏方になりたいと思っていました。舞台照明に的を絞りましたが、実はそこにも私が苦手な「サラリーマン的なもの」がある事を知り、すごくショックを受けました。その後紆余曲折ありつつも結局は照明に携わる仕事をし、中国に来ても続けており、今は子供関係の会社を作ったりと横道に逸れてはいますが、まだ本業も続けています。結果から見ると私は「好きを仕事にした」と言えるでしょう。

好きな職業と好きな仕事はまた別。
私は、実体の無い光で架空の世界を作り出すことが出来る照明の仕事が好きですが、だからと言って、「光を扱う仕事なら何でも大好き!」と言う訳ではありません。好きだからこそ、自分の好みがはっきりしてしまいがちです。また照明と言っても打ち合わせもあれば予算を考えて見積もりを作ったり、いろいろな側面があります。つまり、「好きな職業」の中にもまた、いろいろな内容の仕事がある訳です。SF漫画が好きで漫画家になったのに子供向け漫画で生活しているとか、アメリカが好きで貿易の仕事を選んだのにアジア担当になっているとか、デザインは好きだけど打ち合わせは苦手だとか、こういう例は山ほどありますよね。
逆に、もし私があれ程までに恐れていた「OL」になっていたとしても、その実際は多種多様な仕事がある訳で、その中に好きな仕事を見つけていたかも知れません。

そう考えると“仕事”と一つに括って「好きか嫌いか」と二極化する事は無理があり、それががあの記事のどの意見にも全く共感出来なかった理由だと思います。

「好き」に拘るより「好き」を見つけること。
「好き」だと思う理由も内容も、時間や経験と共に変わるものです。私のように浅いイメージで思い込んでいた人もいるだろうし、実際やってみたら変わって来たという人もいるでしょう。自分が思っているより「好き嫌い」はあっさり変化する時があるものです。だから何も経験していないうちに、自分のイメージだけの「好き」に拘って仕事を探すと、過度な期待から必要以上のショックを受けたり失望したりします。どんな仕事にもたくさんの要素があります。だから、好きな職業に就けなかったと言って諦めたり、就けたからと言って期待し過ぎることなく、その中に自分の好きを見つけていけばいいのだと思います。
「サラリーマン的な仕事」の中にも職人的な要素があり、「職人的な仕事」の中にもサラリーマン的な要素があるのです。

嫌いな仕事は無駄か?
私は好きな職業についてしまったばっかりに、好みが出て<好きな仕事≠儲かる仕事>という問題にぶつかりました。生活の為に仕事をしているので、当然好きでない仕事をする割合が大きく、「こんな事をする為にこの職業を選んだ訳じゃない」と嫌になることも多かったです。
でも「お金が回る仕組み」や「好き嫌いとは別の“プロとしての基準”」や「自分以外の人の好みや傾向」や「効率のよい段取り」などなど、私に欠けていたものはすべてこの好きでは無かった仕事から学びました。結果、嫌いだし苦手だと思っていた仕事の中で、以外に楽しく出来るようになったものもありました。

その上で、今もう一度好きな仕事の割合を増やそうと思い、これまでの環境をガラっと変えて一からやってみようと今動き出したところです。

 

尾田栄一郎は物凄い幸運の持ち主だったのか?
職業にもいろいろな仕事がある中で、尾田さんは「好きを職業にし、更に好きな仕事をしていて、尚且つ非常に成功している」という物凄い運が良かった究極の勝ち組という見方もあるでしょう。でもそういう人は、「好きでない仕事」をすることになってもいつの間にか「好きな仕事」に変えてしまうパワーがあるからこその結果なのだと思うのです。

だから、まずは好き嫌いという入り口で判断しないでとりあえずやってみよう!
あの時の自分に言ってあげたい言葉です。

ユニクロの下請け工場問題。その3:問題はユニクロを着るのか着ないのかということ。

この問題は今日でまとめにします。

 その1、その2で調査報告書に対する疑問を述べて来ました。簡単にまとめるとこんな感じでしょうか。

  • 報告書は、中国の社会的な問題点と仕事内容自体が持つリスクについて触れず全て企業(ユニクロ及び工場)の問題として捕らえているので、何処までが本来の企業の責任の範囲内かが明確でない。
  • 報告書が理想とする状態は中国の実情とかけ離れており、現実的でないものも多数含まれている。
  • その為、全て勧告通りに改善するには、途方も無い時間とコストと手間がかかり現実的にはかなり難しいだろう。

だからしょうがない、今のままでいいんだとは思っていません。

ただこの問題は、「安い場所で安い人間を使って安く作り、高い場所で高い人へ売る。」というビジネスモデル自体に必ず付き纏う問題であり、その方法を採る企業が山ほどある中で一社について問題解決を迫ったところで何も解決しないと思っています。中国の人件費はここ数年どんどん上昇しているので生産拠点がバングラディシュやミャンマーなどにも移ってきていますが、問題は何処であっても同じことです。

“インフラ整備も不完全”“開発されていない土地と材料”があり、“法律などの社会システムも未完全”“人権意識も低い”からこそ、低コストな生産拠点に適した場所となる訳です。だからそこに、その1と2で述べたような社会的問題が存在しているのは当然です。もし、この報告書が指摘する問題点が全てクリアになっているような場所であれば、そもそも生産拠点選ばれることはないでしょう。

 

更にこの問題は大気汚染や水質汚染などの問題にも繋がっています。世界でも大きく取り上げられているPM2.5問題は、もちろん中国自身の原因も多くありますが世界の工場となっていることも無関係ではないはずです。各国の各メーカーは中国の基準に沿って工場を建て運営しているのだから、その不完全な基準と検査をしている中国に責任があるというは当たり前です。但し、そういう不完全さがある発展途上の国だからこそ、安い土地と材料と人があり世界の工場となり得た訳です。現地の不完全さを利用して、問題は現地の不完全を理由にするというのは都合がよく思えます。

 

労働法やその他法律でも同じことです。その1、2で挙げたように、「法律が概ね理にかなった内容でまともに施行されている」とは限りません。大型工場で大人数が働き、今まで聞いたことも無かったような化学薬品を使用する事についての想定がされておらず、私達から見たらスカスカの法律や条令だからこそ、工場運営の初期投資が安く抑えられ準備も比較的簡単に済んだという面もあるはずです。だから「現地の条例や法律を厳守する」ことが絶対で、それだけ守っていれば正しいというは間違っています。本来ならば、起りうる問題点を理解している経験者という立場の企業側が、現地が思いつかないような面をも含めたルールを作り、守って行かなければならないことだと思います。しかし、そんなことは可能でしょうか?不完全な状況の中、自分達だけでそのレベルより上のことをしようとすれば当然コストが上がる訳で、だったら本国で行う方がよっぽど簡単だったということになるでしょう。

 

どの企業がそんなことをしているのか?こんな犯人探しは意味がありません。 この国境を越えての流通が当たり前になったからこそ、一周回ってもう一度“地産地消”が見直されたりして規定いるのです。今この瞬間だって、数々の企業や商社が次の「生産地にふさわしい不完全な場所」を探しています。そしてそれら企業やメーカーは同時に、私達消費者に取っては良いものを安く簡単に提供してくれるありがたい存在です。ユニクロの商品は千円代の物も多くそれ以下もたくさんあります。

例えば、ヒートテッククルーネックT(長袖)は690円

2014年の日本の三大首都圏でのバイト時給平均は985円だそうです。

(リクルートジョブズ発表)

 

独自に開発し、きちんとデザインされ、厳しい品質で製造され、きれいに包装され輸送されて来たものが何故こんなにも安く手に入るのか?数字に弱い私の頭でも、ちょっと想像すればその裏にある現実に思い当たります。「世界のどこかに、土地も材料も人も物凄い場所があり、そこにメーカーは環境に十分配慮された最新技術の工場をつくり、そこの人々は安全で清潔な環境の下、十分に生活出来る給料と、十分な休暇と、更に工場と対等に交渉できるような権利を手に入れて皆幸せに働いている。」そんな事を本気で信じている人以外は、ユニクロを非難する事が出来ないはずです。このシステムのメリットを享受している以上、私達もこの問題の当事者であるからです。

ユニクロ: 潜入調査で明らかになった中国・下請け工場の過酷な労働環境(伊藤和子) - 個人 - Yahoo!ニュース

この記事で伊藤氏が「海外下請け工場はブラックボックスでよいのか」と述べていました。ブラックボックスにしているのは、企業だけでなく私達消費者側も同じなのではないでしょうか?肉好きを公言しても屠殺場は見たくない様に。

私はユニクロの服を買っているし、ファストフードも食べるし、その他いろいろな安くて便利な大量生産された物を使っています。だから、この報告書に手放しで賛同しユニクロを攻めることが出来ないでいます。

 

国連で2011年に「ビジネスと人権指導原則」が採択され、2013年にバングラディシュの縫製工場ビルの崩壊事件によりこの問題が注目されて来てはいますが、根本的な解決にはなっていません。最低限の配慮として自給を50円上げて残業を1時間減らしたりしてみても、先に恵まれた人がまだ恵まれていない人を利用するという根本が変わることはありません。

これは企業だけの問題ではなく、このサービスを享受している私達が問われている問題なのだと思います。だからこそ、私達が「いいものが少しでも安く便利に手に入る」ことを望む以上は、根本的な改善は望めないと悲観してしまうのです。

 

ユニクロの10倍以上の手間を掛けて作られた服を、10倍以上の値段で買い、10倍以上の年数着続けることが出来るか?

 

全てはこの問いに集約されると思っています。

ユニクロの下請け工場問題。その2:調査報告書の勧告内容を検証する。

 

ユニクロ下請け工場問題について。その1:報告書に対する疑問点 - こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

 

昨日SACOMが発表したユニクロ下請け工場への調査報告書に対する私の疑問点を挙げてみました。そういう疑問点があるからこの報告書は信用価値がないというのではなく、ここを明らかにしないから信用できる部分があったとしても判断出来ないと思うという意見です。

 

しかし、報告書にどんな疑問点があったとしても、中国の事情やその下請け企業の責任があったとしても、あのような労働環境が問題だということは変わらないので、メーカーとしては出来る限りのことをして改善すべきという意見があると思います。報告書の最後にあった「改善の勧告」も大きく言えばそのような意味をさしていると思います。それでは現状に改善とはどのような作業なるのか、考えてみたいと思います。

 

改善にかかる時間

報告書による、現状ユニクロ(ファーストリテイリング)が行っている労働環境のモニタリング方法は以下の通りです。

定例モニタリング
専門機関の監査員が実際に工場を訪問して行います。オープニングミーティングに始まり、工場や寮、食堂などの現場確認、従業員へのインタビュー、書類のチェックなどと続きます。最後にクロージングミーティングを開き、モニタリングで検出された事項について、工場の責任者と確認や改善のためのフィードバックを行います。

(報告書43ページ)

 私は工場管理について詳しくありませんが、この一つ一つを丁寧にやっているのなら、メーカーとしてやるべきことをやっているんじゃないでしょうか?

規模が全く違う自分の話で恐縮ですが、私が以前会社を運営していた時の話を例に挙げてみます。当時私はスタッフに各自工具を持って現場に来る習慣を付けてもらいたいと思っていました。「プロとして仕事に必要なものを自分で拘って用意するのは当たり前だ」ということが伝えたかったのですが、そもそも“プロ意識”の概念がないのです。そこで昨日述べたような罰金制を取り、まずは持ってくるということを定着させ、その後事あるごとにその必要性を伝えました。そんなある日、古株のスタッフが工具を忘れたスタッフに「お前手ぶらできて恥ずかしくないのか」と怒っているのを見かけました。私はやっと本来の目的が達成出来たととても嬉しかったのですが、これで丸3年かかっているのです。当時まだ50人足らずだった自分の会社に、毎日べったり関わって3年です。報告書に挙げられた全ての問題点について、この何倍もの規模の会社で、罰金システムを使わずに改善するにはどのくらいの時間と手間がかかるのでしょうか。

 

何処まで関わるのか?

「下請けだからと言って切り捨てず、問題にはメーカーも積極的に関わり改善していくべき。」という意見も有ると思います。しかしまた、外国人である管理側が現地の習慣などをよく知らないまま必要以上に関わりすぎて上手くいかない例もよくあります。中国の効率の悪さを見かねて何から何まで日本式で進めようとすると、結果今まで以上に何も進まなくなり日本人側から見てもう何が原因だか分からなくなり取り返しがつかなくなるパターンです。例えば何か不具合が発生した時、日本では一つ一つ問題の可能性を潰して原因を探ろうとします。原因が分からないと対策が取れないから。でも私の経験上、中国人はこの作業がとても苦手です。不具合の原因の可能性があるABCの部品を一つずつ交換して問題を突き止めるということを説明している途中で、必ず「それならABC全部交換してしまえばいい」という意見が出ます。その全部取り替える作業は日本人より早く出来たりします。しかしそこでずっと原因追求をしようとすると、皆のやる気もなくなり途中で間違ったりして原因も良くわからず、結果的に大幅な時間の無駄が出ます。それならもう彼ら式に全部交換してしまい、その後細かいことが得意なスタッフを見つけて原因を探らせる方が効率的です。その他食事の習慣や、スタッフ同士の関係性やいろいろ、外国人が無理やり入っていき直接管理していくには、現地の習慣や人間性などを熟知していることが必要です。中途半端に関わると、現地スタッフに間に例の「上に政策あれば下に対策あり」が発動され、外国人が知らない間にダブルスタンダードが出来ていることがあります。そうなると問題は表に出にくくなるので、今まで以上に厄介です。世界各国に工場をもつメーカーがそれぞれの国でそこまで関与するのは現実的にかなり難しいのではないでしょうか?

 

労働者の権利と選択の自由

この報告書には、労働組合も存在せず代表者不在であり「労働者の権利」が尊重されていないという主張がくり返されています。そこには労働者と雇い主である工場との理想的な関係が書かれていますが、それも中国の現状とは大きくかけ離れ過ぎており、全く現実味がありません。中国で労働組合にあたるのは「工会」と呼ばれるものですが、日本とは性質がかなり異なります。そもそも社会主義システムの下作られた「工会」にはストライキ権も認められておらず、例えこの工場に「工会」が存在したところでこの報告書が唱える労働者の権利が守られるとは思えません。もっと乱暴なことを言うと、そもそも国民一人ひとりの権利だって、日本に比べてたらとても尊重されているとは言えない状況なのです。その社会の底辺に当たる人たちの権利を、いきなり先進国と同じレベルにするというのは理想ではありますが無理があります。

 

彼らは何も守られていませんが、その代わり嫌であればすぐに他に移ることは可能です。きちんとした権利で守られていない代わり、彼らを義務だと縛る方法もありません。通常こういう仕事で前歴を厳しく問われたりということはないので、どういう辞め方をしたかということは仕事探しには影響しません。だから彼らは常に周りの情報を仕入れ、少しでも条件が良いところに入れる可能性があればすぐに移っていきます。大きな会社の社員であっても“愛社精神”というものはなく、自分のステップアップの為に転職をしていくのが常識である国で、工場勤務の彼らがもし権利を与えられても「労働組合を組織して代表を立てて粘り強く会社と交渉をする」という方法を選択する可能性はとても低いはずです。そこまでの手間を掛けて一つの職場に拘るよりは、常に同僚や同業者と待遇を比べ合い自分のスキルを考え他に移れる可能性があれば明日にでも行けばよく、無ければ何とかステップアップに役に立つ技術を覚えるか、そのまま労働時間を長くして収入を上げようとするか、会社に影響を与える人数を集めてストライキをしてみるか、諦めるかです。労働者自身がまだ不十分な「工会」の存在や役割を信用しておらず、このような実際的な方法を取っているのです。もしこの工場だけが他と比べて極端に待遇が悪ければ、すぐに人は離れていきます。だからこの工場が、不当に社員を拘束していたり、脅迫などで辞められないようにしていたりということが無いかを調べる必要があり、それが無ければ悲しいけれどこれがこの地域での相場だということなのです。

 

改めて、この報告書が出している勧告を見てみましょう。

工場に対する勧告

  1. 中国労働法に基づき、最低でも週に1日以上の休日を労働者に与え、月の時間外労働時間数を 36 時間以内におさめること 
  2. 労働者の健康及び安全に関して、適切な訓練、保護、及び健康診断を提供すること 
  3. 中国労働法の規定に従い残業代を支払うこと 
  4. 労働者の尊厳を守るため、経営方式を変革すること 
  5. 労働者が定期的に休憩を取ることができるようにすること 
  6. 製造工程で用いられる有害な化学物質から労働者の健康を守るため、必要なすべての対策を講じ、その対策と実施状況を公表すること 
(報告書38ページ)

ユニクロ(ファーストリテイリング)に対する勧告

  1. 製造業者に対して適切な援助をし、労働環境の改善を促すこと 同社の企業社会責任ポリシーを遵守すること 
  2. 製造業者が直接・民主的な方法で労働代表を選任することができるようサポートすること 
  3. 製品の製造業者に関する情報を開示することで透明性を維持すること
(報告書39ページ)

昨日も述べましたが、週一休んで1日8時間労働で1.38時間の残業しかしなかったら彼らは生活できません。だからこれで生活できるくらいまで基本給を上げなさいということなのかも知れませんが、そうしたら彼らの自給はその上の役職者よりも上がることでしょう。その為には会社の社員全体の給料を上げなければなりません。そうなったら、現地の同業者の給料体系よりも突出して高い給料水準になるはずで、求人には人が殺到するでしょうが、これを全ての下請け工場で実施したら、商品をどれくらい値上げすれば賄えるのでしょうか?

それ以外の改善に対しても、様々なコストが発生していくことでしょう。

 

昨日とくり返しになりますが、私はユニクロを擁護したい訳でも、この現状を理想的だと言いたい訳でもありません。現実からかけ離れた理想だけ突きつけても、何もならないと思うだけです。

実際このような報告書を作成しろと言われたら、おそらく中国に下請け工場を置いているメーカー殆どに対して同じような内容のものを作ることが出来るはずです。それは特定のメーカーを攻撃する手法として利用されるだけで、根本的な改善には繋がらないのではないかと思うのです。

続きはまた明日。

ユニクロ下請け工場問題について。その1:報告書に対する疑問点


ユニクロ: 潜入調査で明らかになった中国・下請け工場の過酷な労働環境(伊藤和子) - 個人 - Yahoo!ニュース

中国で仕事をする時、どの業界でも上がる問題の一つがこの「下請けの管理」だと思います。私は12年前に中国に来てからフリーで仕事をしたり、中国人の仲間4人と会社を作ったり日系企業に勤めたり、そして今は自分で会社を立ち上げたりといろいろな経験をしましたが、自身が下請けとなることも下請けを使うことも有る立場で、このユニクロ下請け工場の記事は考えさせられることがあり、報告書も読んでみました。長年中国ローカルにどっぷり浸かってきた身で、思うことがたくさんあったので、何日かに分けて書いていこうと思います。

 

"中国自身の問題"と"ユニクロの管理問題"と"職種の問題"の混同

報告書を呼んでみて一番問題だなと感じたのがここの部分です。確かにこの工場を先進国の立場で覗いてみると問題点はたくさんあります。但し、その原因は全てユニクロの管理責任が原因なのでしょうか?背景や原因を分析せずに問題点だけ列挙してユニクロに結びつけるというこの方法は、特定のメーカーを攻撃する方法にも使うことが出来る危険な手法だと思います。具体的にどこを混同しているか、挙げてみようと思います。

 

1、社会構造としての収入の格差

*報告書 2.1著時間労働と低い基本給(P13)

ここで広東市と東莞市の平均月収とこの工場の差が大きいこと、時間外労働の多さを問題にしています。中国は日本よりも社会の収入格差が大きいです。職種、能力、学歴、出身地などの原因から格差が生まれています。また会社内であっても、担当部署や役職により給料は大きく異なります。例えば、私が昔運営していたのはイベントのAV機材を提供する会社で社員100人程度でしたが、2010年当時一番安い給料は日本円で約2万円弱、一番高い給料は約23万円でした。約11.5倍。私を含む4人の役員と社長の給料は含めなくてもこの格差です。この会社はサプライヤーの立場ですので、その上の制作会社や広告会社になると、社内の平均給料もまた上がります。工場で働く作業員というのはこの格差の中では底辺に位置する職業となり、給料が市の平均より低いというのは当然と言える結果です。これはユニクロや工場の管理問題というよりは、中国の社会構造の問題となり、一企業としてはどうしようもないと言うのが事実です。物価上昇で生活が苦しいという問題も同じく。それよりは、同業者の服飾工場との比較や、出版や工業系など他の工場との比較しての判断が必要だと思います。

 

2、中国の法律の矛盾

時間外労働についても同じです。基本給を抑えて時間外労働やその他手当てで補填する、これは企業が良く使う方法で日本でも良く聞く話ですよね。法律を違反している部分に関してはその法に則って処罰される必要がありますが、残業代を稼ごうと社員自ら規定を超えてまで長時間働こうとするのもまた事実です。また中国の法律は、ある日突然改定されたり、現実的でない不合理な内容だったりすることが良くあります。また法律が施行されてもすぐそれが行き渡るわけではなく、役所も混乱していて新旧ルールがどちらも通ってしまったり、改正について質問したくても役所自身が理解していないということも良く有ります。この状況で長く生きてきた中国人は「上に政策あれば下に対策あり」と言われるように、周りの状況を見つつ徐々に合わせていくというのが実際です。

労働法36条 週 44 時間までという労働時間制限は週休1日の場合1日あたり7.3時間、週休2日で8.8時間です。労働法41条時間外労働時間は月に 36 時間を超えてはならないというのは週休1日なら残業は1.38時間/1日以内と言うことになります。日本でこの条件で働けている人はどのくらいの割合でしょうか?今だから言えることですが、私の会社は守っていませんでした。というより周りでこれを遵守している会社を知りません。なぜか?役所も含めて皆これが無理だということを知っているからです。でも法律が出来てしまったから表向きは厳守だというが、審査方法も処罰もはっきりしていません。そこで“下”である庶民は「この法律に対して上はそこまでやる気がないから、特に目立たない限りこのままで大丈夫」と判断している訳です。“特に目立たない限り”これが重要で、何か上に取って気に食わない目立ち方をしたり、労働者の疲労が原因で事故が起こったりした場合は、急にその法律が意味のあるものとしてその関係者に向けて施行されるということも良くあります。このように、中国の法律には「上もやる気で絶対に守らなければならないもの」と「建前として存在しているが、実質は意味がないもの」とが混在しているのです。こういう背景がある国で、法律の遵守について先進国と同じ感覚で語ることにも無理があると感じます。

 

3、職業としての労働状況と問題点の不明確さ

*報告書 2.2高いリスクと危険な労働状況(P17)

ここに高温や綿ホコリや滑りやすい床など様々な危険な状況が挙げらていますが、私は服飾生産工場の作業を知らず実際どのくらい常識から外れているかは分からないので、自分の専門分野であるイベント制作の現場から考えると、同じようにリスクある労働状況と言えます。高所作業が当たり前、髪が白くなるほどのホコリも当たり前、高圧電流も扱い、夏は暑いところで熱い機材を扱うのでかなりの高温です。これは会社というより職業柄避けられないものです。もっと危険な仕事も世の中にはたくさんあると思います。避けられないリスクはあるが、それに対して如何に対策を採るかということが問題な訳です。危険を指摘するなら、日本と中国の業界基準それぞれを比較し、何処が逸脱している点なのか具体的に挙げなければ、仕事の内容として避けようがない危険も合わせて問題点に含めてしまう危険性があると思います。

因みにこの記事の写真“上半身裸の人”、これは中国の夏にちょっと裏通りに入れば、いくらでも見ることが出来る風景です。ちょっとでも暑いとすぐに脱いでしまうので、禁止にする為に策を練ったことを思い出しました。日本の業界基準を遥かに超える暑さに耐え切れず脱ぐのか、めんどくさがって脱いでしまうのか。この報告書にはそれを判断する材料がないのです。

 

4、工場労働をする人達の教育問題

工場側は労働者にマスク、グローブ、専用スーツなどの防護キットを必要に応じて提供しているものの、実際にはどのような物質を扱うかによってそれらを着用するかどうかが決まる。しかし、防護キットの使用の有無に関する最終判断は労働者本人となっており、
染色作業場の室温は 40 度という高温に達するため、実際労働者は着用を選ばない。 (報告書P24)

中国では、どの職種でも知識や技術の不足などから危険な行為をしていることはよく見掛けるし経験もしてきました。例えば高電圧のブレーカーボックスの上に飲みかけの水を置いていたり、マスクなしに溶接していたり。もちろん企業としてはそれを防ぐために安全に対する知識を提供し、危険行為を防ぐためのルールを作って管理する事が必要です。しかし格差社会の中国では、危険作業はそのピラミッドの底辺に位置する人の仕事であることが多く、またそういう人は子供の頃からその層にいることが殆どです。中国の義務教育は日本と同じく小中学校ですが、都市と地方の学校の質の差も大きく、通っていなかった子、また卒業証書だけ貰っても実際は殆ど通っていなかった子などたくさんいます。こういう人は知識を得てから何かをするという体験をしたことがなく、どれだけ教えても何故危険であるかが伝わらないと言うことが有るのです。「いつか危険な目に合うよりは今少しでも楽できた方がいい」実際に事故が起こるまでこういった選択をしてしまう人はこの層にかなりいます。危険回避の為にヘルメットやマスク着用を義務付けてもそこにお金を使いたくない、会社で支給しても面倒だからと付けない、これはよく起る問題です。ここにはその国の教育問題が大きく影響していて、先進国での「企業による社員のケア」だけでは到底解決できず、更に踏み込んだ対応が必要になることが多いのです。

 

5、罰則システムによる管理方法

*報告書 2.3厳しい管理体制と罰則システム

4で述べたように知識や物を提供しても普及しないので、中国で企業がよく採用する方法は罰則システムによる管理です。理由を説明しても理解しないし浸透しないので、一番シンプルで分かりやすい罰金により強制力を強めると言う方法です。私も初めとても抵抗がありましたが、実際どれだけ有用だと思う知識を一生懸命説明しても浸透せず、まず罰金から初めて浸透した後に理由を説明した方が伝わるということを何度も経験しました。もちろん中国人のどの層へアプローチするかにより変わりますが、特にこの「知識の重要性を知らない層」を管理するには今のところ私はこれ以上の方法を知りません。質を上げようとする場合は、その重要性や目標を語るより、やってもらいたいことを細かく具体的な内容にし、罰則つけたルールするしかないのです。例えば「きれいに片付ける」と言う指示は何を持ってきれいかの概念の差が各自大きすぎるので、「机に何も置いてはならず、帰る前に水拭きする。各チーフが何時にチェックし、守れていなかったらいくら罰金」とするのです。このような管理方法は、私も抵抗を感じたように労働者の人権を軽視しているような感じを受けますが、そこにはまた、彼らの今までの教育や生活環境から来るマナーや道徳観の格差問題があり、彼ら自身の責任ではありませんがこれもまた一企業で改善出来る問題ではありません。企業に出来るのは、現実的にどうやって仕事を実行するかということだけではないでしょうか?

 

他にもいろいろあったのですが、状況は違えど上記5点のどれかに当てはまりそうなのこの辺でやめておきます。ここまで報告書に対する疑問を挙げて来ましたが、私は全面的にユニクロを擁護したいという訳ではありません。この現状が望ましいものとは全く思っていません。ただ曖昧な根拠で「成功している巨大企業がか弱い労働者をこき使っている」という分かりやすいイメージに当てはめて手放しで批判することは、故意に誰かを攻撃することも出来てしまうし、それで何かが改善されると思えません。このニュースでは他にもいろいろ考えさせられることがあったので、明日もまた続きます。

真っ白い世界とネガティブの種。

ここ数日、空気が悪い日が続いています。今日は一段と酷く、AQI(空気質量指数)は

現時点で433です。

 

向かいのビルも霞み、日光も影もなく朝か昼かもわからないぼんやりとした世界、

いつも聞こえてくるうるさい程賑やかな人の声もなく、PM2.5用の息苦しいマスク

を付けて歩いていると、小さな子供とおばあさんがマスクもせずに外で遊んでいる

のが見えて、小さくため息をつく。真っ白な空に小さいオレンジの丸いものが滲ん

でいるから、今日はきっと晴天なのだろう。

 

体も頭も重く何をする気も起きません。何か新しいこと、面白いことなんて全く頭

に浮かびません。これからの計画や改善策を考えたりといったことも上手くいきま

せん。前から決めてしまっていた打ち合わせをしても、いい結果にならない事が

多いです。

 

こんな日は、自分が思う以上に自然の影響を受けていることを実感します。

気分がいいとか悪いとか、ポジティブとかネガティブとか、いいアイディアが浮か

んだりつまらない事を思い出したり。普段自分自身が生み出していると思っている

こういうものも、実は自分の中にはそれら全ての種が埋まっているだけで、体が感

じる刺激によって引き出され"感情"や"アイディア"や"気分"などと呼ばれてている

だけかもしれないような気がします。

受ける光や肌で感じる空気や聞こえて来る音、その他たくさんの受ける刺激によっ

て引き出される種も変わり、私達自身はそれを選べないのではないか?

もしこのままずっと日光浴びることが出来なくなったら、有害物が体に与える影響

だけでなく、それらは創造的な全てのことを奪い、人間はそのまま衰退していく

だろうと思います。

 

中国政府は、明日には強い風がこの毒霧を周りに撒き散らしてくれるので今日まで

の辛抱だと言っていますが、細かくなっても飛んで行った先々でまたネガティブの

種を引き出すと思うととても憂鬱になります。

これもまたこの空気のせいなのかも知れませんが。

 

 

 

 

 

 

嫌な予感しかない二十歳を迎えた人へ

トピック「成人式」について という文字を見て、ドキッと心臓が痛みました。

私の人生で、今のところ一番戻りたくないのが14歳、その次が二十歳です。

 

14歳の時は、自分の中のどす黒いものをどうしていいか分からず持て余していまし

た。それが他の人にも有るのか無いのか、良くわからずに全部隠すと辛いし出すと

引かれるしでさじ加減も分からず、クラスで皆が楽しそうにしていることを楽しい

と思えず、自分の好きなものが周りに理解されない。こんな事も当時の私にとって

はすごく重要な謎で、笑い飛ばす余裕なんて全くなく戸惑っていました。

 

自分の中のそういったものを何とか手懐ける事に成功し、人との距離感や誰とどう

付き合うかを覚えやっと楽に過ごせるようになって来たのに、もう少しで放り出さ

れるという気分で二十歳の1月を迎えました。専門学生だった私は3月に卒業を控

えていたからです。

 

私は高校生の時から何故か裏方に興味があり、その中でも舞台照明に憧れてその

学校に入りました。でも入学して、皆が張り切って業界用語を使っていたり“業界

の作法”のようなものを押し付けてくる雰囲気がとても嫌で、あまり行かなくなっ

てしまいました。変な挨拶や呼び方、先輩や関係者との付き合いなど、無知だった

私は専門職の世界にもそんなものがあるとは思わなかったのです。

 

私はずっと、''具体的な意味は無いけど必要とされている事”に従うことがすごく

苦手でした。昔から「今は学生という受身な立場だから親や学校に従うしか

ないし、他に比べるところがないから学生自ら意味の無いことで比べあったり

するんだ」と、一刻も早く働いて自立したいと思っていました。自己責任と

いうものが欲しくてたまらなかったし、働くというのは成果という明確な

ルールだけで判断されるのだと思っていたからです。それなら私にも理解できる

し分かりやすいと思っていました。だからこそ専門の技術や知識だけで勝負

出来るような世界という意味でも裏方に憧れていたのに、その世界にも意味の

無いルールがあると知り物凄く失望したのを覚えています。ドラマだけの知識

でサラリーマンの世界は人付き合いの世界だと思い込んでいたのでそれも絶対に

無理、「もうどこでもやっていけない。」と八方塞のような気がしていました。

 

それでも2年目の秋頃、自分の好きだった作品に関わっていた照明会社に面接に

行ったら落ちて、他の会社にバイトとして行ってみたら狭い世界に実力とは

無関係の縦社会があり、やっぱり駄目だと思ってそこを辞めたのが正月でした。

そんな私に取ってその年の成人式は、道が無いということだけが分かった状態で

もうすぐ放り出されるのを待っているという、暗いものでした。

 

母から「成人式どうする?着物着たいなら準備するよ。」と言われて、

「準備するお金を用意しているならそれで旅行に行くから現金でちょうだい。」

と答えました。昔から親にお金を貰うのは親に従わなければならない証拠になる

ような気がしてすごく嫌だったし、初めから成人式に行く気はありませんでした

が、旅行に行くお金はバイトで用意していました。

それなのに無邪気に楽しみにしているような母の様子に苛立ってついそう返して

しまい、罪悪感と今後の人生への嫌な予感でもう自分にもうんざりでした。

 

もし、あの時の自分に何か言えるなら。

もし、今同じように感じている二十歳の人がいるなら。

 

あなたの嫌な予感なんて全く当たらなかった。

嫌なことや怖いことはそんな想像を遥かに超える酷さだったし、あなたがこれが

自分だと思っていたのはまだまだほんの一部だった。

いつの間にか予想もしなかった方向へ流されていることもあるし、

変えたくてジタバタしても何も変わらないこともある。

思っていた程自分は特別ではないし、意味がないとか嘘ばかりだと思っていた

世間によくある話にも真実があったりした。

とにかく、あなたはまだ何も知らない。

あなたが今の私の状態を知ったら喜ぶか落ち込むか呆れるかわからないけど、

とにかくあなたの予想とは100%違う。

だから、そこでストップするのはもったいないよ。先を知りたくない?

 

ただ問題は、

二十歳の頃の私は、こういうありきたりな話を先輩面でしてくる四十間近の

おばさんが一番嫌いだったということ。

絶対に、生意気な態度で聞き流されて終わりだと思うけど、それでもおばさんは

しつこく絡んであなたともっと話したいと思うよ。

あの時、ステージに立っていた君へ

 昨日道を歩いていたとき、無意識に何かのメロディーを口ずさんでいました。「あれ?この曲何だっけ?」目的地に着いても思い出せず何となく一日ずっとどこかに引っかかっていて、夜、急に思い出しました。

 

 私は13年くらい前、東京の小さいライブハウスで働いていたことがありました。働いていたとは言っても直接のスタッフではなく、自分の会社が仕方なしに受けた仕事の為に私は月に2,3度顔を出している程度でしたが。バンドブームもとっくの昔に終わり、ジャンルと言うたくさんの教科書が出来てアーティストにも面白く話が出来ることが求められ始めた時代でした。殆どのバンドはその教科書通りの音楽を教科書通りのスタイルでこなしお笑い芸人のようなMCで客を笑わせていて、私はすっかり興味を無くし淡々と仕事としてそこにいました。

 

 そんなある日、突然音楽が始まったので驚いてステージを見ると、地味な服装をした4人が顔も上げず一心不乱に演奏していて、あっと言う間に1曲目が終わると聞き取れないくらいの声で一言バンド名だけ名乗り、また曲が始まりました。いつの間にか私は夢中でそれを見ていて、あっという間に彼らの出番は終わっていました。前のバンドの楽しいMCで和気藹々と笑い合っていた若い客は皆戸惑った様子で突っ立っていましたが、その後のバンドが登場し楽しい挨拶をしたので、安心したようにまたいつもの雰囲気に戻りました。スタッフに人懐っこく話しかけたり、バンド同士仲良くするのが殆どの中、彼らはそれもなく出番が終わるとすぐに帰ったようでした。

 

 それ以来私はなぜかそのバンドがとても気になり、彼らの出番がある日に合わせてライブハウスに来るようになりました。彼らはいつも何の挨拶もせずバンド名と曲名を言うだけだし、演奏が終わればさっさと退場してしまうので、客は毎回戸惑っているようでした。でも私はどんどん引きつけられて、仕事でなくても彼らの演奏を見に行ったりしていました。彼らの飾らずイメージだけ投げかける日本語の歌詞や、印象的な展開や、何より必死に演奏している姿がとても好きでした。何故こんなに引き付けられるのか自分でもわかってませんでしたが、何かを証明したいのに自分が何に向いているのかも分からずもがいていたあの時の私と、彼らの楽しいというより何かに切羽詰ってやらざるを得ないという様な感じがちょうど共鳴していたのかも知れません。それでも何故か直接話しかける気がせず、お互い特に話さないまま時間が経ちました。その後、私の会社はそのライブハウスから手を引いたことでそこでの仕事は終了し、自分も忙しくなり全く足を運ばなくなりましたが、その後も彼らのCDはよく聞いていたし、音楽の仕事に携わると彼らの姿を思い出しました。

 

 昨日口ずさんだのは、彼らの音楽でした。思い出して急いで探してみたら、彼のCDが出てきました。12年前急に中国へ行く事になり、PCに取り込む時間もなく山のようなCDの中から悩み抜いて最小限選んで持って来た中に彼らのCDが有りました。もしかしてと思い、ネットで彼らの名を探してみたけれど見つかりませんでした。

 

あの時、ステージに立っていた君へ
もう音楽を辞めてしまって、社会人として、若い時バンドやってたんだなんて思い出話になっているかも知れない。もうあなたの周りの人は誰も、あなたが昔音楽をやっていたことを知らないかもしれない。もしかしたら、芽が出ないまままだ続けているのかも知れない。もしかしたらどこかで諦めて趣味として続けているかも知れない。いい思い出になっているのか、ほろ苦い思い出になっているのか、忘れたい思い出にになっているのか。そのどれだとしても、今私はとてもあなた達に伝えたい。
あの時のあなたの音楽は、確実に私に何かを与えてくれたし今も私の中に残っていて、こうして海を超えてもまだ時々口ずさんだり、あなた達のステージを思い出したりします。今の私は、そこまで苦しまずに自分を見ることが出来るようになった気がします。君はどうですか?君に取ってほろ苦くも自慢できる過去であって欲しいと思っています。

音楽だけで誰かの記憶に形を残すって、とてもすごい事だと思う。

本当にありがとう。