こども嫌いでしたが、こどもに関わる会社始めました。

中国で子供向けエンターテイメントコンテンツを提供する会社をやっています。

ペン対銃

パリの事件についてもう何回か書いているのに、それでもニュースを見れば見るほど違和感が募るばかりです。

たくさんのペンが銃を持ったテロリストに向かっている絵。
暴力に表現の自由は負けないというメッセージだというが、不完全だ。

私はこの絵の前にあったはずのもう一枚の絵を思う。

ペンが多くの人の心臓を刺している絵。

 

もはやペンは面と向かって一人ずつしか殺す事が出来ない銃よりも、よっぽど高性能な武器にもなり得る。そしてその武器は誰もが持っている訳ではない。それなのに自由と共に語られる時のペンは、未だにか弱い一本の万年筆の顔をしている。
「ペンは銃よりも強し」なんて今では何の皮肉でもメッセージでもなく、当たり前過ぎて脅迫しているようだ。

 

銃と銃が争ったらそれは戦争だが、ペンとペンとの争いはただの論争と呼ばれ、
ペンを持てる側がペンで攻撃しペンを持てなかった側が銃で反撃したらそれは暴力になり、ペンを持てなかった側にペンで攻撃すれば暴力に対抗する英雄になる。

 

自由は権力に対してしか掲げられない言葉なんじゃないだろうか?

今回の運動は香港のものとは、全く意味が異なっている。

あの内容の雑誌を出版出来る自由があったからこそ、今回の事件が起きた。

国家があなたの身を守る為に内容によっては出版を許可しない言った時、「どんな代償をも厭わないから自由をくれ」というのが、自由を求める運動なのではないか?

どれだけ誰かを傷つける内容であっても自由に表現する事ができ、死よりも尊厳を重要視する者がこれもまた自由に銃を持ち報復する。究極の自由というものを求めるなら、これこそがそうなんじゃないのか?

「何を言ってもいいし、何をしてもいい。」

 

 

「私はシャルリ」と言うメッセージは、私には「内容に関わらず自由に表現したいがそれに伴う代償は断固として受け入れない!」と聞こえる。

暴力ではなく同じ表現の場で対抗するべきだというのが正論なのだが、この「同じ表現の場」なんてまだ幻想でしかないのではないだろうか?

彼らはどこで「表現」すべきだったのか?Facebook やtwitterで相手のアカウントを見つけて討論すべきだったのか?自分のでフォロアーを増やしてから呟けば良かったのか?雑誌社の前でデモ行進をすべきだったのか?新聞社に反対意見を投稿すべきだったのか?同じようにキリストをコケにした絵を描いて冗談と笑えばよかったのか?どこでなら、どんな方法でなら自分を傷つけた相手と面と向かって戦うことが出来たのだろうか?それが分からないので、私は手放しで彼らを糾弾することが出来ないでいる。

素敵なジョークの皮さえ被っていればそれは“皮肉な風刺”となり、その技術がなくストレートに叫んでしまうとそれはヘイトスピーチや暴言となり、叫ぶ場すら見つからず行動してしまうと暴力になる。このルールだって、一部のグループが決めただけのはずだ。

「銃はペンよりも強し」今やこの言葉の方が、弱者を勇気づける言葉になってしまっているのではないか?

 

私はテロや暴力を肯定しているのではないし、自由をバカにしているのではない。

ただ私は暴力を体の傷だけに定義することは出来ないと思うし、一度「もっと自由を」と叫べばそこは全ての例外や制限を外される恐ろしい世界になると思っているので、私には叫ぶ勇気がない。

自分だけが有利な場所で守られつつ自由を叫んだり、自分以外のものには制限を求めることを「自由を求める戦い」のように表されることにすごく違和感を感じているのだ。

 

【主張】仏紙銃撃テロ 表現の自由は揺るがない - 産経ニュース

信教に関わる問題では、侮辱的な挑発を避ける賢明さも必要だろう。だが、漫画を含めた風刺は、欧州が培ってきた表現の自由の重要な分野である。

 テロの恐怖に屈し、自己規制してしまってはテロリストの思うつぼだ。

ー産経ニュース「主張 仏紙銃撃テロ表現の自由は揺るがない」ー

 

風刺は文化である、守られなければならない。

信仰は文化である、守られなければならない。

「自由」という言葉だけで、この二つが同じように成立するわけがない。

どちらを支持するのも、また全く別の意見を言うのも、無視するのもまた自由なのだから。

 

「自分がやられて嫌なことはするな。」

これが自由を制限する言葉と思うなら、

「何をされても文句を言うな」

と説教されるだけだと思うのだが。

本当に「私はシャルリ」でいいの? 西洋とイスラムの「対立」をあおることにならないか : 木村正人のロンドンでつぶやいたろう

「表現の自由」の終焉? - 擬似環境の向こう側

No More オシャレライフ。

深い色のフローリングに白い壁。シンプルだけど丁寧に作られた必要最小限の家具。大きめのグリーンが太陽の光を浴びている横で、丁寧に入れたコーヒーを飲みながらゆっくり本でも読んでみる。シンプルだけど落ち着ける、居心地のいい空間。

 

こんな生活にずっと憧れていました。

私は狭い家に二世帯6人で暮らす東京下町の魚屋に生まれたので、いろんなものがぎゅうぎゅうでごちゃごちゃして賑やかな暮らしでしたし、何より自分が片付けが苦手だということがかなりのネックになっていました。「生活感の無い部屋」。それが、生活感に溢れかえる家で暮らす私の憧れでした。念願の一人暮らしを始めた頃はお金がなく、人から貰ったりしたありあわせの家具で何とか生きられれば良しという生活だったし、ある程度お金を稼ぐことが出来るようになってからは仕事に追い立てられてばかりで暮らし方を考えるような気持ちの余裕がなく、徐々に「ああいうのは暇だから出来るんだ。」なんて心で悪態をつくようになりましたが、それでも本当はどこかで凄く憧れていたのだと思います。その後益々忙しくなり、もはや家は寝に帰るだけの場所となり、別の意味で生活感が無くなっていきました。

 

 出産を前に仕事から離れ、とうとうあのオシャレライフを実践出来るかも知れないという時、田舎から姑が上京し同居することになりました。彼女は中国の田舎に暮らしていた人で、洗濯機や掃除機を使ったこともなく、エレベーターに乗るのは3回目といって11階の部屋に上がる間私の腕をぎゅっと掴んでいました。彼女が来てから、部屋はあっという間に生活感が溢れ出しました。家で食事を作ることなんて滅多に無かった部屋にたくさんの調味料や食材が並び、白では縁起が悪いからと言ってベッドカバーが真っ赤なバラになり、ソファーには手編みのカバーが付きました。その後子供が生まれ、片付けても片付けてもまた元通りに散らかるおもちゃや、付けられた壁の傷を隠そうと張ったポスターもまた破られ、結局私の家は今も昔と同じ、生活感だけが溢れています。それでも何とかしようと家具を変えてみたり、どんどん増える姑の手編み作品にため息をついたりしていました。

 

 そんなある日、お邪魔した知り合いの家で私は自分が憧れていたままのオシャレな生活に出会いました。そのお宅にも小学生の子供がいるというのに全くモノがなく細かいところまで掃除が行き届いた広々とした空間、シンプルで素敵なインテリアに囲まれて私達はゆっくりお茶を飲んでいました。私は別の用事で訪れたのですが、私はついついどうやってこういう素敵な暮らしを維持しているのか聞いてみました。彼女はさっぱりとした人で、お手伝いさんを雇っていること、子供の玩具が散らかっていたら即没収して箱にしまい学校の成績アップと引き換えに返すこと、なるべく外国製の日用品を買うが無理なら隠すなど、私に教えてくれました。(中国ではお手伝いさんを雇うことは日本ほど特別では有りません。)ほら、こんな感じだよとその没収された玩具の箱を開けて見せてくれた時、中にくしゃくしゃに突っ込まれた布が見えました。彼女は「姑が子供の服や家具のカバーなんかを作って送ってくれるんだけど、趣味が悪くて困っちゃう。」と言って笑いました。その瞬間、私は何故だか突然泣きたくなって急いで話題を変えました。

 

 帰り道、同居した当初、急激に手を加えられていく家に耐えられずお手伝いさんを雇うことを提案した私に「他人を家に入れるくらいなら私が何でもやるから。」と言って笑った姑の顔を思い出しました。私はそれを聞いた時、「そういう意味じゃないのに」とゲンナリしたのですが。姑が「スーパーは高いし新鮮じゃないから駄目だ」と遠くまで野菜を買いにいく姿を思い出しました。いつか会社に飾って欲しいと半年かけて作ってくれた、2mもある刺繍の壁掛けを思い出しました。子供の頃、私が書いた絵を母が家の壁にかけていて、友達が来るから恥ずかしいと言っても外してくれないことに腹を立てて全部破いことを思い出しました。初めての一人暮らしの家にまともなカーテンが無く、服飾学校に通っていた友達が余ったからと持って来てくれた奇抜な模様の布を掛けていたことを思い出しました。

 

 私にはシンプルライフなんて無理だ。私はがちゃがちゃしたいろんな人の優しさの中で生きてきたのだし、そのごちゃごちゃな風景の一つ一つが私の思い出と直結している。それらを全部オシャレな箱に閉じ込めても、やっぱり私にはその中身が気になって、そわそわして、きっと落ち着いてお茶なんて飲んでいられないだろう。私が憧れていたのはインテリアやセンスではなく、私とは全く別のリズムで進む別の生活なのかも知れない。

いろんな人の趣味が混ざり合って統一感の無いめちゃくちゃなセンス、何故かいつも無くなってしまうハサミ、誰かが出しっぱなしにしている読みかけの雑誌、子供に玩具を片付けさせるために毎日起こる騒動、何個もあるのにまた夫が買ってくる工具、田舎の親戚から送られてきた大量の食材、いつの間にか貼られたシール、そんなモノ達が私の生活を作っている。

 

どこをどう見ても隠せない生活感。

「それがどうした。生活してんだ。じぶんちで格好つけてどうする?庶民が気取ったってしょうがねえ。」

家に友達を呼べないと、どうしてうちはこうなの?と父に当たった時に言われた台詞が今、すごくしっくりきた。

 

生活してるんだ。格好悪いけどそれがどうした。

 

それでもやっぱり整理整頓を、一応今年の目標とします。

 

 

 

 

 

私達は縛られたい。

昨日暇や無駄について書いた後、ニュースで自由という言葉を何度も目にして、またいろいろ思い始めたので、続きです。

 

2015年の私達は昔より大分解放されている。

無駄な手間や時間から解放された。

重い荷物から解放された。

ある場所に行かないと見えなかったもの、使えなかったものを私達は持ち出し、場所や距離の制限から解放された。

言葉の違いからコミュニティーを制限されることからも解放された。

やったー!解放だ!人類は自由を手に入れたー!

 

で、どうなった?

私達は今、自由を謳歌出来ているだろうか?

 

雑誌を買い、作品を選び、映画館を選び、時間を調べてわざわざ見に行く映画。

何度も下書きしてから清書する手紙。

現れない人をどきどきしながら待つ気持ち。

初めての場所で地図を見て人に聞いてやっと辿りつく目的地。

今見ないともう二度と見られないという意気込みで見るテレビ番組。

 

今携帯で同じ映画を見ても、同じ文面をメールで見ても、連絡を取り合いつつ待ち合わせても、携帯片手に目的地に辿り着いても、録画してテレビ番組を見ても、もうあの感じは戻ってこない。そして私達は慌ててまた検索する。自分に面倒なことをさせるくらい、自分を縛ってくれる何かを。

 

望んでいた自由を手に入れて、少しずつ気づいてしまった。

自由は鳩や女神なんかじゃないかも知れないということ。

私達はやっぱり縛られたい。

完全な自由に立ち向かい続けるには、物凄い覚悟が必要だ。

 時間はね、こうやって、大きい時計に入れて柱に掛けておくのが一番いいんだよ。みんなで同じ時計を持つことが出来るからしあわせなんだよ。腕時計なんかに入れて、時計を外に持ち出そうなんてとんでもない考えだ。

ー寺山修司「田園に死す」よりー

中二病でサブカル少女だった私は、彼の作品によく出てくるこの柱時計や母というモチーフに自分が息ぐるしく感じていた全てのものを投影し、そこから自由になる為に挑戦していく側としてこの文章に強烈に打たれました。私は腕時計すら要らないんだ!と。そういう面倒な思春期を何とか通りすぎても、やっぱり縛られたくないという気持ちが強く、こどもや結婚や家そういうものは全て要らない、人に煩わされたくないから私も人に頼らない、と思ってやってきました。でも今、この母親の言うことが少しは分かるような気がします。。

 

縛られていたからこそ、抜け出したいというエネルギーが沸いたのかも知れない。

お互い縛りあい煩わされながら初めて家族という実感が沸いてくるのかも知れない。

面倒な過程に縛られながらそれでもやる事で、自分がそれをそこまで大切に思っているということを自覚するのかも知れない。

ということは人は縛られていないと、自分の存在を自覚出来ないんじゃないか?と思うのです。

 

限りなく自由を求める人類の闘争。

私はここで一抜けします。私には自由は無理でした。

これ以上の自由なんて要らない。

自分が愛するいろんなものに煩わされていたい。

 

そしていつか私もこどもにウザイと言われる母親になって、こどもを家から追い出してやろうと思っています。

ヒマを生き抜く強さを持て  ©1993スチャダラパー 

スチャダラがこれを書いた1993年、調べたら初のデジタル方式携帯電話開始された年でした。

わずか十数年で劇的な進化を遂げた携帯電話の歴史 - NAVER まとめ

 

あれから22年、私達は今、どのくらいのヒマな時間に立ち向かえるだろうか?

スマホもPCもタブレットも触らず、誰とも会わず何もしない時間、どのくらい我慢出来るだろうか?

待ち合わせをした相手が5分経っても現れない時、連絡を取らずに我慢できるのはどれくらい?

 

私達はその時間を「無駄」だとし、それをなるべく減らす為に研究を重ねて昔に比べたら大分減ったその「無駄な時間」、それは何処に行って何になっているか?

 

携帯電話が無かった学生時代、例えば友達と初めての場所で映画を見る為に待ち合わせをする時、どんなことをしていたでしょうか?

  1. 見たい映画が放映されている映画館の中から行きたい場所を決める。
  2. 映画の時間を調べる。
  3. 最寄駅からの行き方を調べてメモを取る。
  4. 二人の待ち合わせ場所を決める。
  5. そこから映画館最寄駅までの行き方を調べる。
  6. かかる時間を考えて、少し余裕を持って待ち合わせ時間を決める。

今思うと面倒くさいこの作業の中で、その友達の知らなかった一面が見えたりもしたし、バラバラな情報源から必要な情報を抜き取るという事を毎日していたんですよね。そしてその友達が待ち合わせ時間を5分過ぎても現れない時、頭はいろんなことを考えて行動いたはずです。

  • もしかして私が時間を間違えたのかとメモを見直す。
  • 相手の性格から判断してどのくらいまで待つべきかを考える。(あの子は几帳面だから滅多に遅れることはない、15分待っても来なかったら何かあったかもしれないから家に電話をしてみようか?など)
  • 電車が遅れていないか調べる。
  • もしかしてもう来ているのではと周りを探してみる。
  •  場所が分かり辛かったかなと目立ちやすい場所に立つ。
  • 何時くらいまでならギリギリ映画に間に合うのか、もう一度時間を計算してみる。
  • 嫌われたのかな?何か怒らすことしたかな?などと不安になって日頃の態度を思い返してみる。

今では考えられない無駄な作業ですが、あの時はこんなにいろいろ考えて相手が登場して、「来たー!」って喜んで、友達を軽く攻めてみたりして、待ち合わせだけでもたくさん話題がありました。

 

無駄な時間から開放され、地図や手帳や本やいろいろな荷物から開放され、覚えること考えることからも開放された私達は、自由になって何をして来たか。

 

明日か明後日あたり、私をたずねて、当院に聞きに参る者があるはずですが、もしその者が見えたときは、宮本は当所の猿沢の池のあたりにわらじを解いているゆえ、あの辺の旅籠の軒を見て歩け、とお伝え願いたいのです。

ー吉川英治「宮本武蔵」よりー

これは武蔵が引き取った弟子の城太郎(おそらく10歳くらい?)と待ち合わせる為のに伝言を頼むシーンなのですが、先ほどよりもかかる時間も想像したり調べる作業もかなり多い。城太郎は数ある旅館の中から、武蔵ならどんなところを選ぶだろうか想像して探します。これは小説ですが、こういう方法しか無い時代なのでこの城太郎が特に凄いという訳ではなく、皆このくらいのことはしていたはずです。

 そもそもこどもに対してこんなアバウトな内容で更に間に人を介したやり取りで約束するなんて、今では恐ろしくて考えられません。何が恐ろしいのか?

誘拐される、交通事故に会う、そんなこと、児童売買も追剥も横行したこの時代、もっと危険が多かったはずです。

  • 相手と合えないかも知れない不安
  • 相手に自分の気持ちが伝わっていないかも知れない不安
  • 相手がそこまで出来るかどうかという不安
  • 相手にもし何かあったらという不安
  • 相手がもしいなくなったらという不安

 

こうした手間や不安からも開放された私達は、効率的に有意義に幸せに暮らしているか?

 

昔より多くなった時間を使って昔より多く人とやり取りを繰り返し、不安を解消する為に確認を繰り返し、失敗をしないように調べて、比べて、へとへとになって、怖い怖いと泣いている。楽しい出来事があっても、そこにいた人全員が楽しいと思っていたか、自分だけじゃないか確認して、他の人はどのくらい楽しそうか確認して、自分と比べてもっと楽しそうならまた怖くなり、もっと楽しそうなことは無いか調べる。

無間地獄。

 

この辺で、そろそろ腹を決める頃なのかも知れません。

ヒマを見つけてヒマを知れ

ヒマを生き抜く強さを持て

ースチャダラパー「ヒマの過ごし方」ー

 これ以上やっても何もない、目の前のヒマや不安に立ち向かわないと。

 

なんて、iphoneが壊れて不安になってる自分に向けての説教でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表現の自由という幻の贅沢品。

パリのテロ事件以来、表現の自由と言うテーマが飛び交い議論されています。「表現の自由は絶対で暴力に屈してはならない。」「自業自得」など様々な意見で議論される中、私は何かピンと来ない感じでこの何日かニュースを見ていました。

フランスの「涜神の権利」という文化背景なども知ることが出来ましたが、やはりモヤモヤした感じが消えませんでした。

2006-02-09 - fenestrae

 

何に違和感を感じているのか、ぼんやりながらやっと見えて来たので書いてみようと思います。

 

「表現の自由=誰でもどんな内容でも何時如何なる場合でも公平に守られるべき世界的な権利なのか?」

今までの歴史で言う表現の自由というのは「個人対国家(権力)」の構図だったように感じます。無力な個人対大きな権力。だから無力な個人は絶対に守られるべきでした。ただ、今回の問題も対政府ではなく、「文化(宗教)対文化(宗教)」になっており、だからこそ多くの意見が現状とそぐわない気持ち悪さを感じたのだと思います。

「表現の自由」を守れ 風刺画のネット投稿相次ぐ フランス風刺週刊誌銃撃事件で

 

私は日本を出て生活するようになって、全てに共通するルールや常識なんて存在しないと言うことを痛感して来ました。自分の個性だと思っていたものが、実は文化背景や環境に大きく影響を受けていたということも実感しました。便宜上同じ単語で翻訳されるものであっても、実際の意味や重要性は全く異なるものもたくさんあるという事も知りました。

だからこの「人権」や「表現の自由」という言葉が国を超えた人類のルールのような形で叫ばれる時、少しお尻がモゾモゾする感覚になるのだと思います。

 

「表現の自由は絶対だ。暴力には絶対に屈しない。」

でも「ペンの暴力」と言う言葉もあり、「ペンは銃よりも強し」というのも逆にそのとおりで、殺されるよりも言葉の侮辱の方が耐えがたいという人がいるかも知れません。

「誰にでも表現の自由がある。」

でも食べることに困っている人や読み書きが出来ない人や危険な状況で暮らしている人、又はとても偏った意見を持っている人など条件が整わなかったり少数派な場合はかなり制限されてしまうはずです。

「人を傷つけない範囲で表現の自由が保障されるべき。」

どんな言葉が人をどのくらい傷つけるか、これはその文化背景や価値観、個人の性格にも関係してくる非常に複雑なテーマで、世界規模で明確なルールを決めることは不可能だと思います。

「やり過ぎた表現の自由が反発を受けるのは仕方が無いが、暴力やましてや殺人は絶対にいけない。」

命が一番大事というのも、数ある考え方の中の一つなだけなのかもしれません。実際いろいろな理由での戦争が今も続いているし、何かを訴えようとして自殺や殺人をすることも少なくないはずです。ある人は“死ぬよりも耐え難い侮辱を受けたから殺す”と言い、ある人は“表現で侮辱を受けたのなら表現で返すべきで殺してならない”と言う。これは意見の違いというより異なる優先順位に於けるルールの違いであって、議論になっていないと思うのです。

 

衣食住が足りて安全な生活を確保できたグループから一歩上の人権を手にしていき、やがて世界の常識を作っていく訳で、その一部の人々の常識がが全く通用しない場所や人々だっているのは仕方の無いことだと思います。

国際連合食糧農業機関(FAO)日本事務所: 世界の飢餓人口は減少、しかし未だ8億500万人が慢性的に栄養不足

UNHCR Japan - 基本情報 - 数字で見る難民情勢

「表現の自由」を手にする事が出来ない人がいる以上、「表現の自由」は国や文化を超えて絶対に守られるものではない。

殆どが国や民族のグループごとに暮らしていた今までの世界では、それぞれの文化背景に合わせてルールを設定しそれに従って判断していればよかったのが、今ではどのグループも急激に混ざり始めています。「国」という枠組みも混ざり合って地名以外の意味をつけるのは益々難しくなっていくはずだと思います。そんな中で、全員が納得するルールを設定するなんて不可能です。今の人類で「表現の自由」という権利を享受している人が何人いるのか?私は完全平等主義者ではありませんが、全ての人に平等な権利が無い以上、完全な自由という権利だって存在しないと思うのです。

 

中国に来たばかりの頃、仕事や生活に於ける人々の格差の大きさに驚き、知り合った中国人弁護士に「人権についてどう思うか」聞いてみたことがあります。「全員に平等な人権というのは在り得ない。」と彼ははっきり言いました。私は弁護士からそういう台詞が出たことに少なからずショックを受けて理由を聞きました。「もし中国人全員が日本人と同じ権利を持ち同じような生活をしたら地球はすぐに崩壊するよ。」と彼は笑いました。「人権っていうのは一つのレベルではなくていろいろな段階がある。日本の人権の内容だって時代によって変化して来ているはずで、その場所や時代で変化していく一つの物差しに過ぎない。」

平等を否定するなんてひどい!そんな気持ちで彼に理由を聞いた自分が、世間知らずで恥ずかしくなりました。日本と言うひとつの国の中での常識とルール、それは隣の国でも全く通用しない場合があると言う想像力が私にはありませんでした。

 

じゃあ、どうするのか。

今の私達はもう自分の常識だけでは生きていけない。自分とは違う常識やルールを持った人と接して生きていくしかないのです。

だから、各自が状況を考慮しつつリスクを想像し、表現の方法を自分で選択するしかないと思っています。この位のことを言ったら殴られるかも知れない、或いは身に危険が及ぶかもしれない、そういう覚悟を持った上で発言していくしかないのが事実だと思うのです。

 

決して今回のテロを支持しているのではありません。

私は「暴力は絶対にいけない。」「暴力は何も解決しない。」と思っていますが、同時にこの考えが全ての人に理解され支持されるわけではないとも思っています。

法は守られるべきで、フランスで起きた以上フランスの法に則って犯人は一刻も早く逮捕され罰に処されるべきだと強く思っていますが、同時にだからと言って法を犯してでも殺したいと言う人がいなくなる訳ではないとも思っています。

 

無理だからと言って、表現の自由を願うなと言っているわけではないのです。

ただ、表現の自由というのが人類全ての希望ではなく、それもまたある恵まれたグループの意見の一つに過ぎないと言いたくなっただけです。

こんな内容のブログを公開し出来るということ。これが如何に恵まれた特殊な状況であるか感謝しつつ、そしてこれから続くことが当たり前ではないということを忘れないようにしたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

空っぽな目

3年前まで、こどもが嫌いでした。仕事以外の事に興味も考える時間もなく、仕事の邪魔になるものは全て苦手で嫌いでした。
こどもに関する悲惨なニュースを見ても、「世界の全員が幸せでいる事なんて無理なのだからしょうがない。」としか思えませんでした。
妊娠したと知った時、初めに思ったことは「参ったなー」でした。その後どうして親になる選択をしたのかはまた別の機会にしますが、選択した後も自分の中では「生まれてくる子をかわいいと思えるのか?」と本気で心配していました。

 

そんな「お母さん」とは程遠かった私が、こどもの顔を見てから変わってしまいました。あれだけ心配していたのにあっさりこどもが愛おしくて堪らなくなりました。自分のこどもがというよりは、何も無い所から勝手に一つの生き物として誕生してくるという現象そのものや、その後すごいスピードでハード自体を成長させつつソフトもバージョンアップを繰り返し機能が追加されていくというシステムの神秘に「畏敬の念」の様なものを感じました。そして私はとても弱くなりました。

 

そもそも結婚するつもりもなく超現実主義で好きなように生きてきた私は、本気でいつ死んだって構わないと思っていたのですが、今では死ぬのが怖くて仕方がありません。そして、更に本気でこんなことを思うようになりました。

「世界中の全てのこどもに笑っていてほしい。」


こんなこと、3年前までの私にとって一番嫌いな言葉でした。鳥肌を立てて「気持ち悪い」と吐き捨てて終わりだったはずです。でも、本能なのか、ホルモンなのか、遺伝子なのか、例のシステムの仕業なのかは分かりませんが、心からそう思う自分がいます。

こどもに関する悲惨なニュースは一切見る事が出来なくなりました。トピックなどで虐待のニュースの内容を目にしてしまうと何日も立ち直れなくなる時があります。

 

今日、北京の地下鉄の中でこどもを抱えた乞食を見ました。私より若い女性が1歳半くらいのこどもを抱えてお金を恵んでもらっていました。

 

中国には地下鉄だけじゃなく繁華街でもよく目にする光景で、ビジネスとして乞食をしている人や、乞食を取り仕切っている組織やそこで利用されるこどものとても悲惨な状況も度々ニュースになります。3年前までの私は、その背景や社会現象に興味はあったものの、各個人には何の関心もありませんでした。「全員が幸せでいる事なんて無理」なのだからしょうがない。

 

今日私はそのこどもと目が合いました。それだけで、もう駄目でした。
「ああ、この子は分かっている。」と思いました。

こどもの目や表情は、いつも忙しくいろんな気持ちを発信してくれるのに、今日目があったその子の目は、何も伝えていませんでした。何も無い空っぽの表情。
「ああ、駄目だ。バレている。分かっている。」私は居たたまれない、その子に申し訳ない気持ちで胸がいっぱいでした。
この世界があなたに優しくないこと、いい人ばかりではないこと、間違っていてもしょうがないことがあること、全部バレていると思いました。
私の子はまだ知らないかもしれない事、この子は全部分かっていると思いました。

 

それはもう心臓を掴まれているようで、社会情勢がどうだとか、中国の法整備がとか、人権意識がとかの理屈では応急処置にもならず、私は必死で彼らの為にはどうしたらいいのかと考えました。それは彼らに対する思いやりというよりは心臓発作を止める薬を必死で探すような、自分が楽になりたいという自己中心さで。

考えてすぐ、乞食の女性を呼び止めて今いくらあったらこんな事をしなくて済むのかと聞いてそのお金を渡したい衝動にかられました。とりあえずうちに連れて帰るか?でも私には彼女を一時的に止める事が出来たとしても一生養うことは出来ず、それは何より乞食という方法が有効だという証拠になってしまうしその他のこどもは救えない。もし私がものすごいお金を持ってたくさんのこどもを養ったとしても、限界があるし、お金をあげるだけでは解決出来ないこともある。じゃあどうすればいいのか

こどもの悲しいニュースを知った時もいつもこうなって、苦しく、ぐるぐるといろんな事を考え、そして最後には、「今の私に出来るのは、まずは自分のこどもに笑っていてもらうことだけだ。」と思うのです。こどもの笑顔は、意地やイライラをふっと吹き飛ばすパワーがあります。そうやってこどもの笑顔が周りに笑顔を伝染させることが出来れば、その人は一瞬でも幸せな気持ちになるかもしれない。そして誰かに優しくするかもしれない。「自分のこどもをその出発点をすることしか出来ない。」そう思い、こどもを抱っこして私も彼のパワーをもらうのです。

 

今日のあの子も、どこかで寂しい思いをしている子も、辛くて怖い思いをしている子も、いつか、笑えますように。

何の意味もない、自己満足な偽善。分かってはいるけど、そう思わずにはいられない。


一番安っぽい偽善だと思っていたこんなことを本気で思うようになった、これもこどもの笑顔のパワーだと思うのです。その笑顔が一つでも多く作れるように、頑張って行きたいと思います。

中国の「よいこ」とは?

皆さんのイメージする良い子ってどんなイメージですか?

元気な子、優しい子、真面目な子、一生懸命な子、色々有ると思いますが、中国の伝統的な概念では、よいこは「聞き分けの良い子」と言う意味である事が多いです。
大人の言う事によく従う子=良い子。

中国は両親が共働きでおじいちゃんおばあちゃんが子守りをするという生活パターンが多く見られます。昼間公園で見かけるのは殆どがこどもとおばあちゃんだったりします。よく見ると、何かずーーーっと子供に声を掛けています。試しに砂遊びをしている子に耳を澄ましてみると…?


「服が汚れるから座っちゃダメ、しゃがんで。そっちはでこぼこしてるからこっちにしゃがんで。このシャベル使って山を作ってみれば?そうじゃない、そこにまき散らさないで、ここに。そうそう。あーあー、手でやらないでシャベル使って。そレジャ大きいから小さいほうのシャベルで。あーあーあー、そーっとやりなさい、服が汚れるよ。あーあー、そっちからやったら崩れるよ。こっちから、もう一回、ほら。あー、出来た出来た。じゃその枝刺してみれば?その枝、それじゃない大きすぎるよ。」

 

「うーるーさーい!!もう放っておいてー!!」


ついつい傍で聞いていた私がその子の気持ちになって叫びたくなりました。
若い世代だともう少し子供の自主性についての理解もあるようで、子供に構い過ぎる姑ともう少し自由にさせたい嫁の争いもたまに目にします。

こういう風景を毎日見かけて、今の中国の児童教育コンテンツはこのおばあちゃんの気持ちで作られているのだとよくわかりました。そう、とにかくお節介。
ケガをしないように、服が汚れないように。

それどころかこう遊んだら面白い、こういう時はこう思うだろうからこう言おうなどなど、とにかく指示が細かく多いのです。それを全部理解して全てに従う子を良い子というのなら、それはもうロボットなのではと思ってしまうほど。

実際、先ほどの砂遊びの子は文句も言わずに大体は従っていたけれど、私はその様子を「よいこ」とは思えませんでした。こどもには手が汚れたりちょっとした擦り傷に気付かないほど夢中になって砂だらけになって遊んで欲しいし、それを中断されたら怒るくらいの自分の意思を持っていて欲しい。だって、傷はすぐ治るし汚れだって洗えば落ちるけど、その時気付いたことは将来に繋がる小さな大発見かも知れないから。実際こどもの遊びをよく観察してみると、私達大人には無意味に思えることからいろんな発見をしているのが分かる時があります。

 

私はこども達にそういう発見をするきっかけだけを与えてあげたいと思っています。面白そうな匂いだけさせておいて、あとは放っておく。できればその「面白そうな匂い」だって自分で探して欲しいのですが、今の社会で安全や環境を考えると難しいことがありますよね。
だから安全に放っておく為の場所を作るために、今頑張っているところです。